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ギブ&ギブ、ギブの精神がおかげさまの和(輪)をつくる

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■講演録 VAV倶楽部会長 近藤昌平氏

6月15日、福岡市中央区でVAV倶楽部会長の近藤昌平氏を招き講演会を開催した。近藤氏は、ユニークなアイディアでヒット商品を連発し、「ケーキクリエーター」「洋菓子業界の革命児」と称された。また、40年以上続く異業種交流会「VAV(バブ)倶楽部」を主宰し人と人をつないでいる。これからは「ギブ&ギブ、ギブの時代」と語る近藤氏に、自身の体験などを通して得た成功の秘訣を語っていただいた。

毎日2万2,000個も売ったオリジナルケーキ

みなさん、こんばんは。本日は、お招きいただきありがとうございます。
いきなりですが、私は毎日が暇なんですよ。これは、言葉の使い方です。「忙しい、忙しい」と言っているより、「暇だ、暇だ」といっている方がいろんな出会いがあり、今回のような機会にも恵まれる。ですから皆さん、是非、真似してみてください。

さて、今日は「人生の成功の秘訣は」というテーマをいただきましたので、私なりに商売や人間関係を広げるために、どのようなアイディアを考えてきたかといったことを中心にお話を進めたいと思います。実は、30年程前になりますが、田辺経営の田辺社長さんに伴われて全国を講演で回っていたことがあります。博多にも年に3度ほどお邪魔しました。当時、「アイディア商法で話題を呼んでいる」人物として、私は日経新聞はじめテレビ、雑誌などで頻繁に取り上げられていましたので、講演の依頼をよく頂いていました。ですから、よくアイディアはいろんなところに転がっているという話をしていました。

ケーキの製造販売を手掛けるボンボヌールを創業し、経営していました。和菓子屋さんから私の代で、いきなり洋菓子店に変わったので苦労しましたが、商売が発展した推進力になった一つはアイディアでした。まだ売れない頃、素人発想で、柔らかいしっとりとしたお菓子はどんなものかなと考えた。そして出た答えが、「水と空気をいっぱい含んだお菓子をつくったら美味しいだろう」と思い付きました。そんな、しっとりとしたカステラを四角く切って、中に生クリームを包み込み、四角く折り込みます。このままだと乾いてしまうので、それをビニール袋に入れて、ポケットに入れられるようにしました。その、しっとりとしたフワフワの「ファンシー」という商品名のケーキは、大ヒットしました。毎日、2万2,000個も売れる看板商品でした。私は60歳で引退しましたが、私が開発したファンシーは、いまでも愛知県の20~30店舗のケーキ屋さんで売られていますよ。

松下電器から10万8,000本の注文

様々なアイディアを考え商品やパッケージを企画しましたが、その中で一番話題になったアイディアは、今から30年以上前、景気が落ち込んだ頃に「景気を回復させるお菓子をつくろう」と思いつき、「景氣快福(けいきかいふく)ケーキ」という商品を作りました。名前だけでなく、ご利益がある仕掛けも考えました。私は、東京の日枝(ひえ)神社という商売繁盛の神様がいらっしゃるとても由緒のある神社に出入りしていましたので、そこのお神酒を使った真っ白い「酒ケーキ」を売り出すことにしました。日本酒を使ったケーキは日本で初めての試みでした。パッケージには、オレンジ色の箱に神社で揮毫していただいた「景氣快福」の文字を金箔で入れました。
「景氣快福」ケーキを出してから、どの位のご利益があったか定かではありませんが、世の中の景気は良くなりました。そうすると、大手企業さんが記者会見で「決算は赤字だが、ようやく黒字体質になった」とコメントをするニュースを見る機会が増え始めた。「これは面白い!」と思い、今度は真っ黒なケーキ「黒字体質ケーキ」を作りました。商標も取得しました。

「景氣快福ケーキ」と「黒字体質ケーキ」を2本セットにして売り出したところ、これが飛ぶように売れました。1,000箱、2,000箱単位で売れていきました。1度に10万8,000本もの注文を頂いた時は、さすがに驚きましたよ。松下電器さんからのご注文でした。
なぜ、私に仕事をくださったのかというと、実は、松下幸之助さんとは昔、中日新聞の加藤社長さんからご縁をいただいたことがあります。ある日、加藤社長さんから「明日、松下幸之助さんが名古屋にいらっしゃるから一緒に食事しないか」と電話で誘われました。当時はまだ、名古屋にいましたので二つ返事でうかがい3人で食事をしました。その際、私がお菓子を持参したのですが、後日、幸之助さんから丁重なお礼状をいただいたのです。「菓子ひとつで、こんなに丁重なお礼状をくださるなんて、すごいな」と感動しました。それから幸之助さんの真似をして、私も手紙を書くようになりました。

そういう昔話を、幸之助さんの部下だった方が「景氣快福ケーキを作った近藤さんは、うちの相談役ととても親しかった」と覚えていてくださったようで、新年のあいさつ回りに私のケーキを使ってくださった。一軒、一軒持って回るのに10万8,000本いるというのです。本当に嬉しかったですよ。
そうやって配っていただけると、多くの方が興味をもってくださる。東芝さん、その他いろんな企業さんからもお買い上げいただきました。

日経新聞社長の就任引菓子も受注

西暦2000年に合わせて2,000円札が発行されました。そこで、2,000円札のデザインを大蔵省の方から頂いてお菓子をつくったこともあります。お札だけにさつま芋を使ったケーキです。ジュラルミンケースのようなパッケージに、沖縄の首里城の絵も入れました。お札の裏には紫式部が入っていますから、紫の雲を紫芋で入れました。売り出してみると、これも売れすぎて生産が間に合わないほどでした。
日経新聞にも企画を採用していただきました。日本経済新聞の社長を務められた森田さんが、社長に就任された時の記念の引き出物です。私が引菓子を提案する少し前、日経新聞で私のことを取り上げてもらっていました。当時のお菓子屋さんは、ピンクなど淡いキレイな色を使っていた。一方、私は六本木でスタートしましたが、後発組です。しかも、店舗を持たないケーキ屋を始めましたから、東京では知名度もブランドもない。よほど変わったことをやらないと駄目だと思って包装紙を黒、スーツ、ネクタイ、ハンカチ、名刺まで黒で統一して徹底的に黒にこだわった。すると、黒いお菓子屋ということで日経新聞その他のマスコミさんにも取り上げられたというわけです。

日経新聞の取材の際に、記者さんから「今度、うちの社長が変わって就任パーティーを盛大に開催するらしい」と聞きました。そこで、テレビ東京の中川社長が以前からのお知り合いだったので、中川社長から日経新聞を紹介していただきました。すぐに日経新聞に突撃し社長秘書の寺内さんに会いました。そこで、社長就任の記念品をつくらせて欲しいと切り出したのですが、「それは難しいかもしれない。すでに、高島屋と三越に頼んで見本を取り寄せているから」と断わられた。しかし、「僕に頼んだら素晴らしいものをつくりますよ」と啖呵を切って、自分のアイディアをお話しました。パッケージに新聞紙を使うこと。アイボリーのキレイな紙に金箔で文字を印刷したら、とてもきれいなことなどをお話したところ、興味を持たれ具体的な見本を求められました。

当時の日経新聞が、全国の銀行さんで金を販売される記事や森田社長さんの就任の記事、昭和天皇の侍従長を務められた入江侍従長に関する記事を掲載していましたので、実際に日経新聞に掲載された記事でパッケージをつくったんです。新聞紙をパッケージにするというような発想は誰もなかったから、森田社長さんにも面白がられ、注文をいただきました。
その時、「社長、もし評判が悪かったらタダでいいですよ」と、もう1回、啖呵を切ったんです。「君、大きなことを言うな」といわれましたが、「タダでいいです」と言い切った。東京、大阪、名古屋、福岡、札幌で開催されることになっていましたから、全部タダにしたら大変なことになると思いましたが、ふたを開けてみると、そのアイディアが大変な評判を呼ぶことになりました。日経新聞の社員さんはもちろん、大変な数の方に配られました。1つの会場に2~2,000人ほどの人が来られるわけですから。
その中にダイエーの中内功さんがいらっしゃったようで、中内さんから電話があって「日経新聞と同じものをつくって欲しい」と依頼されましたが、さすがに、違った形で作りました。作った作品が次のお客さんを呼んでくれたんです。

こんなことをやっていると、新聞、テレビ、その他のマスコミの関心を集めます。新しい商品や企画をすると、新聞社が面白がって記事を掲載してくださる。日経新聞からはじまり、四大新聞すべてで取り上げてくれます。テレビ、雑誌にもかなり取り上げられました。そして、マスコミ関係者が「近藤さんはアイディアマンで面白い」と言ってくれるから、よけいに広がる。そうやってアイディアを考えていると楽しいですよ。アイディアは空気のようなもんですが、それをどう形にするかが大事です。

高松宮家の引菓子を2週間で製作

1982(昭和57)年1月5日に東京新聞で「東京新商噂聞書(おえどのあきないうわさのあれこれ)」という私を紹介する記事が掲載されました。その日、記事の事は知らずに高松宮家へ新年のご挨拶にいうかがいました。和菓子屋時代はお取引がありましたので、ご挨拶は欠かさず伺っておりました。お会いするなり妃殿下が、「今日、近藤さんの記事が出ていましたよ」とおっしゃる。東京新聞の記事を読んでくださっていたんですね。それで、御殿に上げていただいてお茶をいただきながらお話をしていました。すると、「今度、葉山に御用邸をつくるから、その記念品を探しています。近藤さん作りませんか」と思わぬことを言われました。名誉なことですから、「やらせてください」とお受け致しました。
私は、妃殿下が貝殻のコレクターでいらっしゃったので、ホタテ貝やアワビ、マテ貝などいろんな種類の貝殻をかたどったお菓子を企画提案しました。ところが、納期は2週間後とのこと。当然、型屋さんはじめ、パッケージのメーカーの皆さんから「間に合わない。絶対無理だ」と断られる。そこで、「この仕事を成功させたら、将来、凄いことになる。1日は24時間。1日8時間働いているのを24時間働いたら3倍の時間ができる」といって無理やり説得し、約束通り2週間でご注文の品を納めました。

それを貰われた方の中に、あのゴッホの絵で有名な大昭和製紙の齊藤会長がいらっしゃいました。「もらった菓子を是非、作って欲しい」と頼まれ丁重にお断りしました。結果として、宮内庁からお許しが出たので齊藤さんに出すことになったのですが、この時も数千箱ものご注文をいただきました。

高松宮妃殿下に貝殻のお菓子を作ったところ、天皇陛下(昭和天皇)が非常にお喜びになられたという電話を宮内庁からいただきました。そして、ちょうど、天皇陛下のダイヤモンド婚式を控えていらっしゃった。それで、その記念品をつくって欲しいとご依頼をいただきました。今度は、松茸や松ぼっくり、カエデの葉など山で採れるいろんな型のクッキーを作りました。嬉しかったですね。天皇陛下の仕事はなかなか出来るものではありません。この時に作ったお菓子も、その後、どんどん注文が入って来ました。

そうやって仕事というのは転がっていくものだと思います。その中で、新しい出会いや人間関係も生まれます。良い人間関係があると、不公平ですが、良いことがいっぱいあります。ですから、いっぱい良い人とお付き合いすると良いですよ。そのためには、必ず相手の為になることを仕掛けることです。何を仕掛けるか。初対面の時はすぐに、相手の良いところを見つけるんです。笑顔が良いとか、スーツが良いとか、身に付けているものが良いとか。褒められて怒る人はいませんから。褒められたら、褒めてくれた人のことを嫌いにはなりません。それから、何かをプレゼントをすることが大切ですね。日本はギフト文化ですから、贈り物をもらって怒る人もいません。

1度は解散したが

今日は、VAV倶楽部の会長としてお招きいただいていますので、倶楽部のお話をします。
1980(昭和55)年1月に、たまたま名古屋の知人が七人集まりました。ここからVAV倶楽部は始まったのです。今日のタイトルにもありますが、私は「ギブ&ギブ、ギブが大事」だと言い続けてきました。このフレーズは、第1回目の集まりで「ギブ&テイクの時代は終わった。これからはギブ&ギブ、ギブの時代」だと話したのが始まりですから、かれこれ40年以上も昔になります。
最初は「近藤さんを囲む会」だったのが、次第に人数が増えてくる。名古屋で、7人でスタートしたのがいつの間にか150人ぐらい集まるようになりましたが、そのくらいの規模でやっていると「近藤は、選挙に出るつもりではないか」と噂が立つ。僕はまったく政治家になろうという気持ちはなかったし、今でも、持っていません。それで、別の名称にしようということになり、VAV倶楽部という名称が生まれたわけです。VAVは、バイタリティー、アクション、ビクトリーの頭文字をとったものです。

その後、私が名古屋から東京に拠点を移したのに伴い、東京で開催するようになりました。現在は、銀座で奇数月に開催しています。東京でも人数が増え続けピーク時は、1回に300人、400人が集まるようになった。特別なものはありませんが、講師にお呼びする方は超一流の方々です。
さて、400人も人が集まると何が起きるか。変な人が入ってきます。名刺交換だけを目的とした人や高額な着物を売りつける集団、家電、布団を売り込む営業集団です。これで、私は散々やられました。「VAV倶楽部に行って酷い目に遭った」という人も出てきた。そういう人たちが増えたので、VAV倶楽部を辞めてしまいました。

ところが、今まで来てくださっていた方々から連日のように食事に誘われたり、電話を頂いたり。手紙もいただきました。「VAV倶楽部を続けるように」との説得です。1年間も続きました。さすがに、そこまで言ってくださるのだからと、再開することにしました。しかし、以前と同じではまたトラブルが起きる可能性もあるので、面接をさせていただいて、入会金10万円をい頂くようにしました。年会費は無料です。そうやって始まったのが、今のVAV倶楽部です。VAV倶楽部は、心の暖かい方々のおかげで40年以上も続けてこられたわけです。

良い人と付き合うことが大事

良い人と会うと良いことが起きます。悪い人と会うと悪いことが起きます。ですから、良い人と付き合うことです。人に好かれること、愛されることを、どういう形で積み上げていくかが人間関係をつくっていくうえでとても大事なことなんです。「近藤さんの周りにはいい人がたくさんいるから」という人がいますが、私も1人で生まれてきました。それから生きていく過程で、母親から人を褒めるということ、人に感謝することを教えられました。
例えば、母と一緒に喫茶店に行くと、水を運んできてくださったウエイターさんに「ありがとう」。次にコーヒーを運んできてもらうと、また「ありがとう」。その度に、頭を下げてお礼の言葉を口にする。店を出る時も、レジでお金を払いながら「ごちそう様、ありがとう。美味しかったよ」と声をかける。誰かにご馳走になっても同じようにやる。そうすると、ご馳走してくださった方は、「コーヒー1杯でこんなにお礼を言われると、たまには、焼肉でもご馳走しなくちゃ」というように思われます。そうやって、どんどん良い人間関係が広がっていくんですよ。

「おかげさまの心」と「感謝の心」。人を褒めたり、プレゼントしたりすること。そういう当たり前のことをやり続けていくということが大事です。お見送りもそうです。母がお菓子を買ってくださった方をお見送りする際は、お客様の車までお持ちし、車が見えなくなるまでお見送りしていました。父を早くに亡くしましたから、私たち子どもは、お見送りなど大事なことは母から教えられたんです。

私は母の教えを真似しているだけですが、実際にやると人に愛されます。玄関までお見送りするのと、建物の外まで出て、ご挨拶とお見送りをするのとでは、全然違います。そうすると、今日は1,000円分買ったけど、次は2,000円分買おうかということにもなりますよね。言葉にすると「親切」、「誠実」、「謙虚さ」、それにちょっとした勇気と努力。そして、最後に「和」です。聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と言った、和の精神です。ですから、いつも「おかげさま」の精神でいると、おかげさまの和(輪)が広がると思っています。

銀座に宗像三女神を祭る神社を建設

実は、宗像大社さんにご縁をいただいて、「宗像三女神をお祭りする神社を銀座に建てよう」ということで動き出しました。名前は「銀座常若神社(ぎんざとこわかじんじゃ)」です。美しくなる神様、芸能の神様、縁結びの神様、財運の神様。そういう神社が銀座に出来たら、日本中からご利益を求めて人が集まるのではないかと考えています。
そうやって進めていると、あるゼネコンさんから「近藤さんが作る神社の建設はうちにやらせて欲しい」と話があった。銀座で土地を購入して建物を建てるとなると、最低でも30億円ぐらいはかかるだろうと思って、資金集めの手立てを考えているところでしたから、運が良いですよね。あと、土地の問題ですが、これも、ありがたいお話をいただけそうです。このままいくと、大きなお金をかけなくても神社ができそうですよ。

私が神社の話を始めた頃、「神社なんて出来るわけないよ」と言っていた人が、最近は「近藤さんがやるんだから出来るかもしれない」という空気に変わってきました。それでもまだ、半信半疑の方もいらっしゃるようですが、私は必ず出来ると信じてやっていますから、実現するでしょう。これからを見ていてください。

Trend&News  Bis・Navi(ビス・ナビ) Vol.145(2023年7月号)

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