経営者の知恵を後継者に残すことで100年企業の基礎を築きませんか

設立40年で自社所有物件が30棟超え

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Trend&News 株式会社理創

最高の品質を追求し続ける姿勢こそが成長の力

株式会社理創(福岡市博多区、田中啓之社長)は、2023年9月で設立40年を迎えた。オフィスビルの仲介と建て貸しからスタートし、現在は自社所有の物件を30棟余り所有する貸しビル賃貸業で安定した経営基盤を築き、資産運用コンサルティングでも多くの実績を上げる。同社成長の要因は企画力や営業力であるが、それらを根底で支えるのは高い品質と品格を保ち続ける専門家としての矜持であるといえる。創業からの経緯を社長の田中啓之氏に聞いた。

1人で400~500の物件情報を管理

ピーター・ドラッカーは、企業の目的を「顧客を創造すること」と定義した。ほとんどゼロからスタートした田中氏は小さな仕事にも全力で取り組み、取引を広げていく。

―今年9月で創業40周年を迎えられました。理創さんといえば、30棟以上の自社物件を所有し、安定した事業モデルを作り上げられていますが、創業当時はどのような状況だったのですか。
田中
創業当時は、法人を対象としたオフィスビルの仲介をメインに、建て貸しも行っていました。一方、売買仲介はほぼ手掛けていませんでした。
こういうと誤解を招くかもしれませんが、いわゆる不動産屋になりたくないという思いがありました。不動産は高額ですから、売買となると不動産ブローカー等が介在するケースがあります。私は、その同じフィールドで動くことになるのが嫌でした。社員を採用するようになっても、売買は禁止していました。
だからといって、余裕があったわけではありません。顧客ゼロ、資金もほとんど無い状態からのスタートでした。

―不安じゃなかったですか。
田中
不安がなかったかというと嘘になりますが、私は、不安より希望が勝つタイプですので、何とかなるとしか思いませんでした。
まず、テナントの情報が必要ですから、借り手を開拓するために電話セールスから始めました。電話帳を見て、直接電話をかけるやり方です。当時は、「貸ビル情報株式会社」という社名でした。「オフィスや建物のことでお困りごとがあれば」と電話営業をしますが、ほとんど断られました。チラシも作りましたが、あまり効果はありませんでした。

―電話セールスの他には、どんな方法をとっていましたか。
田中
情報を得ることが難しい頃ですから、とにかく、少ない情報を糸口にして、そこから大切に仕事を広げていくことを心がけました。例えば、わずか駐車場1台のご依頼でも一所懸命にお世話しました。そこから信用され、何台かの駐車場を依頼されるなど取引が広がり、後々になって、1,000坪を超えるオフィス仲介まで拡大した例もありました。
借り手同様、貸し手であるオーナーの開拓も進めなければなりません。条件を提示してもらえば、それに合った物件の資料を即時に提示できるということを売りにしていましたから、福岡市内の中心部にあるビルの情報は全部網羅しておく必要がありました。こちらも電話による情報収集を進めました。

―福岡市内の物件となると、電話だけでも大変な作業ですね。
田中
当時のビルオーナーは、電話で簡単に教えてくれるような人ばかりではありません。「直接聞きに来い」といって電話を切られたりすることも多かった。必然的に直接会わなければ情報を得られないわけです。それで、とにかく人に会っていました。少しでも時間ができたら、すぐにビルを訪問して情報を集めていました。

―オーナーの開拓も飛び込みによる営業が必要になったわけですね。
田中
電話とチラシでは効果が上がらなかったので、結局、飛び込み営業で開拓しました。私の場合は、とにかく単純接触の回数を重視しました。1日に何件訪問していたか覚えていないほどの数をこなしました。人と会って話をすることは好きでしたから、訪問することは苦になりませんでした。そうやってオーナーと直接話をしていると、他の物件の情報を得ることもできました。そうした情報が基になり、大手企業との取引に発展するきっかけとなったことは何度もあります。

―どのくらいの数の物件情報を持っていたのですか。
田中
福岡市内を中心に400~500件のファイルを持っていました。1つの物件ファイルでもかなりの情報量でした。
物件情報は最低でも月に1回以上は更新する必要があります。情報を更新する時は、前の情報を消しゴムで消して、それから鉛筆で上書きします。パソコンなどない時代ですから手間がかかりました。
おかげで、ある時期からは、物件の情報を記憶できるようになりました。物件名、担当者名、電話番号。柱から柱の間の大体のスパンと見取図。エレベーターは開口がどのくらいで、何人乗りエレベーターが何基ついているなど、すべて頭に入っていました。

―情報の管理だけでも相当な時間が必要だと思います。
田中
とはいっても、日曜日や祝日は、きちんと休むようにしていました。

飛び込みで新規顧客を開拓

運が巡ってきた時、それを掴むことができるか否かは、どれだけの準備をしたかによる と言っても過言ではない。田中氏は、膨大な物件情報を記憶し問い合わせに即座に答えて信用を得た。

―飛び込み営業は、精神的な強さも求められると思いますが、足で稼いだ情報は貴重な財産となりましたね。借り手となる顧客創造でも大いに力になったと想像できます。
田中
門前払いされることはよくありましたし、あからさまに居留守を使われたり、目の前で名刺を破られたりしたこともあります。しかし、私は、壁が高いと闘志がわいてくるタイプですから、次の日も訪問する。それを続けると、最後は話を聞いてくれます。そんな時に突然、物件を尋ねられることがありますが、情報を覚えていますから、望まれればすぐにでも案内できるわけです。そうやって信頼を得て、契約をいただくことも多々ありました。
取引が始まったお客様の多くは、初めのうちは拒絶されたところが大半ですが、実は、飛び込み営業から顧客開拓につなげる秘訣がありました。

―具体的にはどのようなことをするのですか。
田中
断片的な情報から借り手を見つけ、取引につなげるというやり方で新規の顧客を創造していきました。貸し手であるオーナーを回っているなかで、断片的な情報を聞いたとします。例えば、100坪の物件を探している会社があるという情報です。その情報を基に、近くで100坪前後の物件を持つオーナーを訪問します。そして、「100坪の物件を探している企業がありますね」と雑談の中で投げかけて、知っているようであれば他の情報、例えば、業種を教えてもらいます。さらに、次のオーナーのところで、「△□業界で100坪の物件を探している会社がありますが、こちらに来られましたか」と投げかけると、会社を特定できる情報を教えてくれることがあります。

こうして断片的な情報を集めて、物件を探している会社を特定し、直接その会社に出向きます。そして、先方の条件を詳しく聞きます。普通であれば、会社に戻ってその条件に合う物件を探すところでしょうが、私は物件情報を頭に入れていましたから、その場で、該当する物件を提示することができました。そうやって、信用され現場も案内し成約に結び付けていました。

―計算された営業戦略と戦術に基づいて顧客を創造してこられた印象を受けますが、田中社長はそれまで、そうした訓練を受けていたのですか。
田中
実は、この業界に入る前のことですが、ダスキンといすゞ自動車で働いたことがあります。この2社での経験が、私の営業の基礎になりました。例えば、1日に100件以上の飛び込み営業ができたのは、ダスキン時代にそれ以上の訪問件数を毎日こなしていたため苦になりませんでした。

また、営業戦略や戦術については、いすゞ自動車時代に学びました。当時、いすゞ自動車はアメリカのゼネラル・モーターズ(GM)と提携し、GMの世界戦略車構想の下に「いすゞジェミニ」を販売し市場を拡大しました。この時、GMからインストラクターが来日し、2週間の合宿と1週間の本社での研修を受けました。この時に学んだ理論が、その後の営業戦略や戦術を立てる際の基礎になったといっても過言ではありません。ダスキンといすゞ自動車での経験と学びは、私の貴重な財産です。

2階建て倉庫付き事務所は、事務所の前に駐車場もあり、入居者が24時間自由に使えると
好評を博した。

倉庫付き物件で差別化を図る

付加価値の高い仕事とは、ニーズにこたえるだけでなく、新しい価値を創造したり期待を超える結果を出すことではなかろうか。田中氏は、二階建て倉庫付き事務所を展開し新しい市場を開拓する。

―理創さんといえば、早くから倉庫付きの2階建て事務所を展開し、他社との差別化を図っておられた印象があります。
田中
最初に2階建て倉庫付き物件を建てたのは、サラリーマン時代です。お客様から「1階に作業できる場所があって、駐車場も備えた40坪程度の事務所物件が欲しい」という依頼を受けたことがありました。
ところが、そんな小規模な物件はありません。40坪では建て貸しもできない。そこで、考えたのが2階建ての倉庫付き物件でした。敷地に細長い2階建ての建物を建てて、40坪分を切り分け、残りを2つに区分して、3社が入居できる物件を考えました。建物の前のスペースには、1区画当たり4台の車を止めることができます。
当時のオフィスビルは、使える時間が制限されて残業ができず、休日は休館で使えない。エアコンも集中管理されていて、テナント毎に調整ができない。そのようなオフィスビルに対する不満を持つテナントは多かったのです。

一方、私共の物件は、24時間自由に使えますし、エアコンもテナント毎に調整できる。事務所に倉庫スペースもある。しかも、事務所の前には駐車場まで付いている。この2階建て倉庫付き物件の企画は好評を得て、建てれば建てるだけ入居者が入るような状況でした。
このモデル以外にも、配送センターや工場、店舗などの建て貸し、ビルの建替えなども手がけました。

―配送センターや工場など大型物件となると、競合も多くなると思います。どうやって、受注につなげたのですか。

田中 
当社は後発ですから、他社がやらないことを手がけて差別化する必要がありました。そこで、同業者が無理だと投げ出した物件も手がけ、配送センターや工場をつくりました。業界の常識では無理だと思われていた物件も、例えば、建築基準法上、建築不可能と思われる場所でも法律を研究することで解決策を見出すことが可能です。

貸し渋り時代に金融公庫から資金を調達

創業20年程経った頃、自社物件を所有する機会に恵まれた。これを可能にしたのは、同社が取引先と築いてきた信用の力だった。

―常識に捕らわれない発想を持っていたから出来たことだと思います。そうして、自社のスタイルを模索するなかで、創業から20年程経った頃、初めてとなる自社物件を購入されました。どのようなことがきっかけだったのですか。
田中
当社が管理している天神の物件が空くことになったため、オーナーに報告しました。すると、「あのビルは売ろうと思っている」と言われた。そのビルは、私が創業してすぐに手掛けた建て貸し物件でしたから、特に思い入れがありました。「良かったら私に譲ってください」とお願いすると、快諾していただきました。

―最初の物件購入ですから、資金調達で苦労されたのでは。
田中
物件を購入する数年前から、銀行の貸し渋りと貸し剥がしが問題となっていました。建て貸しをする時に、例えば、オーナーの土地に建て貸しでテナントを誘致するという条件なら、通常は銀行が融資をしてくれるものです。しかし、その頃は、銀行が融資してくれない状況でしたから、不動産業界は八方ふさがりの状態でした。
そのようななか、知人の紹介で中小企業金融公庫、今の日本政策金融公庫、を紹介してもらいました。中小企業金融公庫は、事業用の建物にしか融資できないという規制があるため、融資できる物件を探していたのです。

中小企業金融公庫は、当社が企画する倉庫付きの建て貸し物件を評価してくださり、同公庫経由で資金を調達できるようになりました。他の銀行が出せなかった物件も融資してもらえ、非常に幸運でした。
次々と建て貸し物件をつくったり、良い取引先であるオーナーも紹介したりしていたので、中小企業金融公庫内での信用があったと思います。おかげで、自社物件を購入する際も中小企業金融公庫から融資を受けることができました。続けて購入した2つ目の物件も同公庫から資金を出していただきました。

中小企業金融公庫は国の機関ですから、審査も厳しい。そのおかげで、銀行からの評価が上がり、銀行からの借り入れも容易にできるようになりました。購入した自社物件は、長期保有を目的としていますから転売しないという方針です。そのため、自社で保有している建物は、現在30棟余りになりました。

周りの景観に配慮しビルの壁面に描いた絵。
アートとしても楽しめる。(福岡市博多区)

―これからも買い増していかれるのですか。
田中
買い増していく予定です。エリアについては、福岡市内を中心にしていますが、これからは、久留米や北九州にも広げていこうと考えています。

―購入する物件の基準はどのようなものですか。
田中
できれば、JRや西鉄、地下鉄の駅に近いところ。それと、南側に大きな建物がっつ可能性のない土地。これは、日当たりの問題です。道路付きも重要です。それなりの道路が付いてないと価値が下がります。それと、敷地面積が60坪以上あることです。

自分にブレーキを掛けられるか

ブランドは人の評価が積み上がったもの。同社は、専門家としての高い品質と会社としての品を保つことを徹底し、企業ブランドを高めてきた。

―40年にわたって会社を経営してこられたなかで、田中社長が経営者として大切にしていることは何ですか。
田中 
一番は、嘘を言わないということです。自分が売りたい、あるいは、貸したい物件でも、相手の為にならないと思ったら自分にブレーキをかけること。「今のうちに考え直しましょう」「止めましょう」と言えることだと思いますが、お金ばかりを追いかけると、案外、言えないものです。プライドを捨て、主義を曲げてまでお金を追う必要はないと考えています。

品質を守ることも非常に重要です。品質とは、商品だけでなく私自身や社員1人ひとりも品質です。書類や取引の内容も品質。期待を裏切らないということが品質を守ることです。言い換えれば、我々の矜持です。
例えば、契約書は10年後、100年後に全く知らない人が読んでも。誰もが同じ解釈をできる内容。それが契約書に求める品質だと考えています。だから、寸分のスキもない完璧な仕事をしなければいけない。取引の安全を守るのが私たち取引士の使命ですから、重要事項説明であるとか、契約書などは完全なものをつくる必要があります。

―取引されるお客さんは安心ですね。田中社長はじめ社員の皆さんが服装などにもかなり気を配っているように感じますが、これも品質の一部ですね。
田中 
高級な服である必要はありません。身だしなみの問題です。今の品質を最高の状態に保つということです。小売店であれば、店に並んでいる商品をホコリの被った状態でお客様に渡すようでは、その店はいつかトラブルを起こします。車であれば、汚れているまま乗っているような会社は伸びません。トイレが汚い会社も同じです。これは、消防士だった父の教えです。父は自分の経験から「散らかっている家が火事を起こす」「汚れている車が事故を起こす」と言っていました。意識が届いてないという意味だと思います。

当社に当てはめれば、管理している物件の品を保つことです。物件を預かっている以上は、汚れたりすすけたりしていたら当社の恥だと考えています。ですから、建物のチェックは毎月、4回以上行います。最初に提携している清掃業者が回ります。その後、当社の担当、さらに、部長や役職者が見て回ります。私も抜き打ちで巡回します。その上で、最後に管理総監督が月に1回、見て回ります。放置自転車やクモの巣なども見つけたら報告が上がってきます。雑草も見逃しません。どんな時でも問題があれば、すぐに対処します。

品質を保つためには、建物だけでなく入居者のチェックも必要です。例えば、現在借りている名義人が本当に今、その部屋に住んでいるのか。本人ではなく、又貸しなどで責任のない人が住むようになると、事故や事件が起きる可能性が高まります。そういうもののチェックも徹底的に行っています。預かっている管理物件だけでも100棟を超えていますが、問題のある所は1軒もありません。

建物の品を保つため、毎月、徹底したチェックを行っている。

時間と共に借金が消えていく

組織はトップの考え方や人柄で変わる。それだけ、社長自身の在り方が、企業の成長や衰退に大きな影響を与えるということである。目に見えるものしか評価しない考え方に偏れば、奢りが生まれるだろう。田中氏は、経営者が品を保ち、感謝する心を持ち続けることを大切にしている。

―資産活用にはいろいろな種類があると思いますが、その中で、不動産による資産活用の魅力について教えてください。
田中
不動産は大体の事がはっきりしています。建物の築年もはっきりしていますし、耐久性なども診断すればわかる。すごく分かり易いものです。例えば、駅の横にある物件は、その価値が簡単に下がることはありません。そういう場所の建物であれば、借り手が付きます。一方、株券は、会社が倒産したらタダの紙屑となり価値がなくなります。

不動産投資の良いところは、アパートやマンションなど、世の中に求められるものをつくれば入居者が付きます。入居者が快適に過ごして、「ありがとう」といって家賃を払ってくれる。その家賃から、いろいろな支払いができる。建物の管理さえきちんとしておけば、時間の経過とともに借金がなくなっていく。良い投資だと思います。
50年、60年経って建物が老朽化して解体したとしても、土地は残っていますから、そこに新たな建物を建てることができる。日本は小さな島国で、国土の六七%は森林です。そう考えたら、土地の値段は、そう簡単に下がるものではありません。仮に土地の評価額が下がっても、家賃は定期的に入りますから、別段、問題ではない。売らなければ損は確定しません。

―田中社長が目指す将来の会社像とは。
田中 
従業員の環境を変えないことです。万が一、私がいなくなってもこの人たちが安心して勤められる、そして、クライアントが安心してサービスを受けられる体制を維持することです。そこまで考えて手を打っておかないと、社長の仕事は終わっていないと考えています。

―不動産も含めて、これから会社を起こそうとする経営者、または、会社を継ぐ後継者に必要な資質やものの見方、行動の仕方などについてどのように考えますか。
田中 
正直であること。目先の損得ばかりを考えないこと。人のために、という考えを大切にすること。何より大事なのは人柄だと思います。極論すれば事業は人柄です。人柄の悪い人間には人がついてきませんから、社長の人柄が悪いと組織は求心力を失います。

また、目の前にあるもの、目に見えるものだけを信じたら失敗すると思います。感謝の気持ちは目に見えませんが、ものすごく大きなエネルギーを持っています。その目に見えないエネルギーを理解し、大切にすること。例えば、人が見ていないところでごみを捨てたりしないことも同じです。宗教的な表現になりますが、神様と共にある感覚でしょう。

損得勘定ばかり優先していても、長くは続かないと思います。損得勘定を横に置いておいて、相手が喜べばそれで良いという気持ちでやらせてもらった方が、社内に良いエネルギーが集まり、さらに、社外に向けて良い気を放つことができるようです。

―成功している経営者は、そうした考え方を持っていると感じます。
田中 
慎重さも必要です。「無謀でなく、勇敢であれ」と言いますが、私はそれを大切にし、無謀なことはなるべくしないように心がけてきました。石橋を叩いて、最後は引き返すこともある程、慎重になる場合もあります。
「立って半畳 寝て1畳」と言いますね。その感覚が大事だと思います。要は「品」の問題。品良く生きていくことです。

私たちの仕事は、感謝がお金に形を変えたものだと思っています。建物を仲介して、お客様から「良い建物を紹介してくれてありがとう」と感謝されて、初めてお金をいただくことができるわけです。
たくさんお金があるからといって、それを遊興など自分の欲のためだけに使うようなことをすると、お金を頂いた方に失礼ではないでしょうか。頂いたものは懸命に考え、大切に使うのが当たり前だと思っています。
「品は1代では買えない」「先祖代々の品を受け継いでいるから、品の悪い真似はしてはいけない」と母から教えられました。経済競争が激化し先行き不透明な時代なので、企業にはより品格が求められると思います。
これからも、理創グループは品格を重んじ、建物資産活用を通じて社会に貢献していきます。

会社概要

会社名   株式会社理創
住所    福岡市博多区博多駅東1-16-8 ITビル8F 
設立    昭和58年9月3日
代表    田中啓之
資本金   1,000万円
事業内容  貸しビル賃貸業、資産(土地・建物)活用コンサルティング事業 など
URL    https://www.riso-net.com/

Trend&News  Bis・Navi(ビス・ナビ) Vol.147(2023年9月号)

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