経営者の知恵を後継者に残すことで100年企業の基礎を築きませんか

時代の変化に対応する組織を目指す創業社長の覚悟と事業のつなぎ方

Trend&News

Trend&News   ■株式会社Doppo

日本は社長の年齢が高い。平均で60歳を超えている。「今日のように変化が激しい時代には、時代の変化の対応できる若い後継者へ引き継ぎ、引き継いだからには、任せきることが大事だ」と言われるが、それを実践している例は少ないように思う。映像制作を手掛ける㈱Doppoは、3月末で創業者社長の中川健一郎氏が60歳で代表を退き、取締役の倉原慎二氏が新社長に就任した。中川前社長は、役員を退くだけでなく自身の全持株も倉原氏が買い取り、スムーズに全権移譲を果たした。今後は、プロデューサーとして若手の育成などに力を尽くす。同社の事例には学ぶべきものがある。事業承継の経緯などについて前社長の中川健一郎氏に話を聞いた。

中川 健一郎 前社長
1962年生まれ、福岡県出身。

九州産業大学工学部卒業後、
1985年旅行会社に入社。営業と添乗員として
世界を飛び回る。
89年4月映像制作会社を創業。
91年4月㈱エム・ブイ・ピーを設立、代表取締
役に就任。
2009年5月㈱Doppoに社名変更。

2022年3月31日退任。
通販エキスパート検定1級。
倉原 慎二 社長
1984年生まれ、福岡県出身。九州ビジュアルアーツ 卒業 専門学校を卒業後、CM制作会社に入社。
その後、㈱Doppoの前身であるエム・ブイ・ピーに入社、ディレクター兼取締役を経て2022年4月1日代表取締役に就任。
通販エキスパート検定1級。

7年前から取組んだ

―3月31日付けで中川さんが社長を退任し、4月1日には倉原慎二取締役が社長に就任されました。まずは、今回の代表交代に至った経緯から聞かせてください。

中川
今回の代表交代については、倉原新社長と7年前に代表交代の話をしたのが始まりです。
彼は当時、役員として経営に参画する立場にありました。私が彼に、「ゆくゆくは社長を継いで欲しいと思っているが、受ける気はありますか」と尋ねると、彼は「受けます」と即答してくれました。私としては、彼の回答を嬉しく受け止めましたが、若さ故の即答ということもあると思い、家族ときちんと話をした後に結論を出してもらうようにすすめました。

社長は一見、華やかそうに思われることが多いですが、背負うものも大きい。借入金の保証に立つこともあれば、会社が倒産して財産を失うこともある。そういうリスクについても奥さんや家族と話し合ったうえで、最終的な回答をもらいたいと考えました。さっそく彼は、家族で話し合う機会を設けて話をしました。その上で、改めて事業を引き受けるという決断をしてくれました。

―会社を引き継ぐというのは、大きな責任を負う覚悟が必要ですし、同時に家族の理解と協力も不可欠だと思います。
中川
それから1年後、今度は「1年前に会社を引き継ぐことを了承してくれたが、いつ代表を交代しましょうか」と尋ねると、彼は「5年後を目指したい」と。5年後は私が59歳なので、きりの良い60歳に合わせて交代することで合意しました。
今回の社長交代は、この時に決まったことです。6年間で私は60歳以降の計画を立て、彼は代表になるため会社の経営について学ぶという方向性が決まりました。倉原氏は取締役として役員会議にも出席していましたから、会社の経営状態の把握と、その上での方向性などについても屈託なく意見を出してもらうことを求めました。彼は、積極的に経営に参画し、私が望んだ経営者としての資質を身に付けてくれたと思います。

時代の変化に対応できる人物が社長であるべき

―帝国データバンクの調査によると、2020年に経営者の平均年齢は60.1歳と60歳を超えています。それからすると、一般的な世代交代のよりも早いという印象を受けました。
中川
確かに、60歳で退くのは早いのではないかというご意見もいただきました。ただ、私の思いを知って、理解してくださった方々からは、「正しい判断をしましたね」というお言葉を頂きました。

―60歳は確かに区切りが良い年齢ではありますが、もう少し経営に携わろうとは考えませんでしたか。
中川
今の時代、70歳以降でも現役で働くという方がたくさんいらっしゃると思います。当社でも、私が創業者として多くの株を所有していましたから、ずっと経営者として現役を続けることはできたかもしれません。しかし、一方で私たちの仕事はクリエイティブで柔軟な発想や視点が求められます。言い換えれば、時代の変化に対応することができなければ、経営者としての役割を果たすことができないということです。
社長になると実感することですが、最終ジャッジは社長。方向性を示すのも社長です。仕事は長く続けると経験則が積み上がり、いろんな局面において経験則を元に正しい判断ができるようになります。ただ、世の中の変化、デジタル化もそうですが、様々な変化が起きる状況に経営者は対応しなければなりません。年齢を重ねると、こうした変化の全てに対応することが難しくなることを感じるようになりました。
クリエイティブな力も若い人の方が持っているはずです。それなのに、年を取った私がずっと会社のトップとして様々なことをジャッジしていては、時代遅れになる可能性があります。それは、会社にとってプラスにはなりません。

当社にとっては、60歳での引退がちょうどよかったと思っています。今、世の中の変化が激しく、先を見通すことが難しい時代にあって、若い人が会社を背負ってくれることは会社にとって良いことです。社員が頑張ったら責任あるポストに就くことができる。役員や経営者になることもできる、と考えられる企業風土が育ってくれると嬉しいですね。

「黒字にして渡す」

―若い人が組織のトップになれるという文化を培っていくということは、働く人たちのやりがいにもつながります。近年は、中小企業における経営者の高齢化と併せて後継者不足が大きな問題にもなっています。子供や身内でも会社を継ぎたくないという。これには、経営に対する責任の重さや借金を背負いたくないという、継ぐ側の不安が大きく影響しているようにも思えます。
中川
倉原氏に社長交代の話をした7年前の当社は、リーマンショック後で債務超過に近いといえるぐらい厳しい財務状態でした。どんなに這い上がろうと頑張っても、思うように業績が回復しない状況下にありましたが、その時、彼と1つの約束をしました。「君に社長として頑張ってもらうためには、必ず、会社の繰越損失を無くして完全な黒字経営にして渡します」と。それが、創業者としての私の責任ですし、そうしなければ、彼に失礼だと思ったからです。
結果として、それから数年で繰越損失を消すことができましたし、以後、毎年黒字経営を続けています。そういった意味では、彼に胸を張って会社を引き継いでもらうことができました。

―今回の代表交代で難しかったことはありますか。
中川
特にありません。6年の間に計画を立ててやっていると、特に困ったということはありませんでした。
自分で経理も兼務していましたから、会社の数字を把握していたのも黒字化と今回の事業承継の力になったと感じています。

―社長業をやりながら、ずっと経理業務もこなしていたのですか。
中川
私は創業からずっと経理も担当してきました。大規模な組織ではないからできたということもあります。一方で、会社に入ってくるお金は私のものではなく、利益が出れば従業員のみんなと分かち合う分配金であるわけですから、会社の経営状態も把握できていない社長は、黒字経営もできないと思っています。会社の数字を把握していない経営者が多いという話を聞いたことがありますが、私には信じられません。
今回の事業承継でも、良い状態で引き継いでもらうためには、経営者が会社の経営状態を把握しておくことは絶対条件ですから、経理を見てきたことはとてもプラスになりました。

―銀行にはいつ頃話をされたのですか。
中川 
銀行には4、5年前から話をはじめ、経営状態も把握してもらっていました。黒字経営が数年間続いていますし、繰越損失を消して内部留保もできているので、代表交代についてはまったく問題ないと言われていました。

親族には継がせない

―2人の信頼関係があって、スムーズな承継ができたのではないかと思います。
中川 
もちろんです。ただ、それには小林勝利専務の同意も必要でした。4月からは、倉原氏と小林氏の2人が取締役ですから、小林専務の理解と協力がなければ今回の代表交代も実現していなかったでしょう。小林専務も若い人に経営を引き継ぐことが必要だと考えてくれていたと思います。

―会社を託す後継者として、倉原社長をどう評価していましたか。
中川
私は独立したとき、世襲はしないということを決めました。独立当時、すでに子供が生まれていましたが、社長業は苦労がついて回ります。家族でやっていると、どうしても見方が甘くなる。それでは、会社の健康を守ることができない。やはり、親族でない人に経営に参画してもらい、会社を引き継いでもらうべきだと考えていました。
倉原氏は、当社がまだ経営的に苦しい時期に入社してくれました。当時は、目の前の経営で精いっぱいの時期です。彼は、当初から高い志を持って、常に前向きで仕事を頑張り、役員になってからの発言も時には社員の立場に立ち、役員として非常に的確な発言をしてくれ、わたし自身が助かると思ったことが何度もありました。
もちろん、クリエイティブなセンスも持ち合わせています。設立当初、当社の名称は株式会社エム・ブイ・ピー(МVP)でしたが、2009年5月に株式会社Doppoという名称に変更しました。Doppoとはつまり独歩、株取引では独歩高という場面などで使われます。私どもの名刺の裏面にも記載していますが「他に並ぶものがない」という意味があります。つまり、「同業他社と並ぶ事なく、常に新しいアイディアをもって仕事に臨む」という志を込めた社名です。
社名変更にあたっては、社内で新しい名称を募集しました。社員から色々な社名が提案され、その中からこの名前を選びましたが、この社名を提案したのが倉原氏でした。

■社員として現場に立つ

―代表だけでなく役員も退任されたそうですね。
中川 
今回の社長退任にあたり、取締役からも退きました。併せて、私が保有していた株を時価で評価してもらい、倉原氏に買い取ってもらいました。ですから、今は役員でも株主でもありません。
3月31日で一旦退職しましたが、4月1日から再雇用してもらいました。

―「組織の若返りのために若い時期に承継すべき」「承継したら次の社長に任せきるべき」という意見も多いわけですが、実際にそれを実行しているケースは稀だと感じています。こからは、どのような立場で仕事をされるのですか。
中川 
当面は、プロデューサー兼経理担当として働きます。今でもずっと継続して担当しているクライアントさんがいらっしゃるので、当面はわたしが担当した方がクライアントさんにとっても会社にとっても良いだろうという判断です。プロデューサーとしての経験を活かしていい作品作りに力を注ぎます。
経理については、現在のところ私が全ての流れを把握していますので、当面は経理も担当することになります。
5年後にはこれらの仕事からも退く予定です。それまでに新しい担当者に伝えるべきことを伝え切りたいと思います。

―社長業を離れ、プロデューサーとしての業務ができるのであれば、これまでと違ったアプローチで作品をつくれるなど、新しいこともできそうですね。
中川 
代表取締役の肩書きを下ろしたことで、精神的な負担がかなり軽くなりました。やはり、同じプロデューサーでも経営者として取り組むのと、純粋にプロデューサーとして取り組むのはかなり違いますね。
プロデューサーとしてクライアントを引き継ぎ作品づくりに携わることは、後輩の育成にもつながります。若手の育成も私の大きな楽しみでもあります。新人など若手社員の裏方としてサポートしたり相談にのったりしたいですね。もちろん、新社長の相談にも乗りますよ。

―企業では、退職したベテラン社員を再雇用するなどして若手の育成につなげようという考えが広がっています。中小企業の場合、社長が一番仕事のやり方を知っているはずですから、その社長が教える意味は大きいと思います。今回の事業承継には、これから承継を考える経営者や後継者にとって学ぶべき点が多いと感じました。

会社概要

会社名  株式会社Doppo
住 所  福岡市中央区大名1-9-52 セントベーネビル6F
創 業  1989年4月
設 立  1991年4月
代 表  倉原慎二
資本金  1,000万円
事業内容 TVインフォマーシャル、通販番組の映像広告企画制作、テレビCMの企画制作、WEB映像・
     動画広告の企画制作、PV・その他映像の企画制作
URL   https://doppo-inc.com/

Trend&News  Navi(ビス・ナビ)Vol.130(2022年4月号)

➤  他の「Trend&News」の記事を読む

コメント

タイトルとURLをコピーしました