Trend&News ■福岡市和菓子組合 理事長 松本 弘樹 氏
「博多水無月」の成功に協業のヒントを見る
複雑化、グローバル化する今の社会において、経営資源の乏しい中小企業はどうやって生き残りを図るのか。大企業同士が手を結ぶほどの時代、中小企業も同業種や異業種との連携やアライアンスが求められる。福岡市和菓子組合は、22年前から組合員の有志がそれぞれの工夫と技で「博多水無月」をつくっている。そして、店頭販売や共同催事の開催といった共同事業を通して高い販売実績を上げ、今や福岡の夏のお菓子として認知されている。「博多水無月」の成功を足掛かりにして、さらに共同事業を手掛け、組合と組合員の利益に貢献している同組合の取り組みには、中小企業が生き残るため学ぶことができる知恵がある。「博多水無月」の開発から現在にいたる取り組みなどを松本弘樹理事長に聞いた。
水無月を福岡の夏の定番菓子に
―福岡市和菓子組合(以下、組合)が福岡の夏のお菓子として「博多水無月」を提唱して22年が経ち、今や夏菓子の定番の1つとして認知されるようになりました。個人店や会社が単独で商品をヒットさせるのとは違う苦労もあったでしょうが、まずは「博多水無月」づくりの経緯から聞かせてください。
松本
「博多水無月」の発想は、私が京都の老舗和菓子店で修業していた頃の体験が元になっています。修業に入った私が、最初に任された仕事が水無月の仕込みでした。最初は、こういうお菓子があるのかという程度の認識でしたが、これが飛ぶように売れるのです。その体験から、福岡の店でも作りたいと考えていましたので、修業が終わって福岡に戻ると水無月を作って店頭に並べました。ところが、全然売れません。
冷静に考えると、福岡では大半の人が水無月というお菓子を知らないわけですから、売れるはずがない。京都では、水無月を食べる習慣があります。商品に使う材料から形、食べる時期、食べる意義などについて明確ないわれがあり、文化として定着しています。だから京都では水無月が売れるのです。
「2カ月で新商品を作ろう」
―当時の福岡には、水無月というお菓子そのものがなかったのですか。
松本
水無月は福岡でも作られていました。京都風の水無月をきちんと作っていらっしゃるところはありましたし、今もあります。ただ、福岡の食文化として定着するまでには至っていませんでした。
組合が独自に水無月づくりに着手したのは1999(平成11)年のことです。私は、その年の1月に組合に加盟しましたが、入会挨拶で「同業者のグループですから、ここで商品開発の土壌を作れるはずです。次(2月)の例会で有志による研究会を立ち上げたい」と提案しました。しかし、不況の最中だったこともあって、「何をしてもつまらん。何もせん方が良い」と先輩たちから否定されました。自分たちも色んなことをやったが、実にならなかった。「お前も少し頭を冷やせ」ということを伝えようとされたのだと思います。それでも、研究会を立ち上げると、3月に7人が集まってくれました。まだ、立ち上げたばかりで何も決めていない状況でしたが、その場で「5月には新商品を作りたい」と構想を打ち上げました。
―たったの2カ月で?
松本
みんな同じ反応でした。「2カ月では無理だ。来年にしよう」と。そこで、「今、来年といっていたら、来年また同じことになる。まずは会議からやろう」といってスタートを切りました。そうやって、3月末から新しい商品を発表するまでの2カ月ほどで12回の会議を開きましたから、毎週1回以上は会議をやったことになります。
引っ張る力より整える力
―一番の新参者が、いきなり研究会を率いることになったわけですね。競争相手でもある同業者ですから、方向性を合わせることは難しい作業だと思います。
松本
みんな店主であり親方です。先輩方もいらっしゃいますし、反対意見が出たらそこで進めなくなる。そうならないためには、車輪合わせが必要だと考えました。それは、このお菓子をなぜ作らなければならないのかというコンセプトを明確にし、それを共有すること。店によって規模や考え方も違う。その中で、参加する人たちが同じ方向に向かうように「引っ張る力よりも整える力」を発揮するのが私の役目だと考えました。
それで、12回の会議のうち10回をコンセプトづくりにあてました。さすがに、皆さんから、「たいがいで作らんと間に合わんよ」と言われましたね。
―発表までわずかな時間しかない状況であれば、急いで形を作りたくなるものですが、コンセプトづくりのために、そこまでこだわることができたのはなぜですか。
松本
実は、前年に自分で水無月を作り、ある程度の手ごたえを感じていました。組合のメンバーなら、コンセプトさえ固まればすぐにできるはずだと確信していましたから、みんなには見せずにいました。
―それは、京都で食べる水無月とは違ったのですか。
松本
京都の水無月とは違います。京都の水無月は、三角形の外郎の上に甘く煮た小豆を乗せたものですが、私は、わらび粉と小豆を主原料にして笹で巻くという形で仕上げました。それを水無月と呼べるかどうかもわからない状態でしたし、商品イメージが先行してしまうと、皆さんの発想の妨げになるかもしれないと考え、あえて私が作った水無月は見せずに進めました。
11回目の会議で初めて、自分の水無月とレシピを披露し、「今年はこれで行こうと思っています。皆さんはプロだから、それぞれの技量で必ず作れるはずです」と伝えました。すると、12回目の会議では、各店が独自の水無月を作ってこられましたので、当初の予定通り、五月末の発売を実現することができました。
100年後のスタンダードになるお菓子を
―販売期間はどのように設定したのですか。
松本
季節商品というものの意識付けを高めるために、5月の末から6月末までの期間限定としました。31日間の販売に対して32回もマスコミに取り上げていただき、「博多水無月」は1年目からよく売れ、大きな成功を収めることができました。
「博多水無月」の成功のおかげで、業界の専門誌にも取り上げられ、全国から同業者が視察に見えるようになりました。京都からも同業者が来られたほど、私たちの取り組みは関心を集めたようです。
―同業者をまとめるのは大変ですが、それを可能にした要因は何ですか。
松本
メーカーの体力や歴史など皆さん違いますし、お互いライバルでもあるわけですから、みんなが力を合わせて目指すことができるような大きな目標や夢が必要だと考えました。そこで、「我々がつくるお菓子を100年後のスタンダードにしよう」と提案したところ、先輩たちが、「我々は100年後にはいないが、自分たちが作ったお菓子が世の中で生き続けているというのは心地いいね」と賛同してくれました。
―ライバルでも同じ夢や目標があると、力を合わせることができるようなります。環境、意識を整えていくなかで、壁になったことや難しかったことはありますか。
松本
組合に入ったばかりの新参者でしたから、私自身に対する信用がない。だから、核となる仲間を作ることが大事だと考え、まずは同年代の人たちに「1回騙されて」と無理を言って付き合ってくれる関係をつくるために、何度も酒を酌み交わしました。土台がない中で進めていたので、コミュニケーションの不足をそうやって何とか補おうとしていたと思います。
販売実績を伸ばしつづける「博多水無月」
―同業者同士が手を組んで1つのブランドを育てるのは難しい面も多いと思います。途中で離脱するメンバーはいませんか。
松本
毎年開催する催事への参加については各店の判断に任せるなど、自由度を高くしていますので、継続しやすい環境ではあると思います。また、「博多水無月」は、発売当初から右肩上がりで売上が増えています。時代の流れのなかで、廃業する店もあり会員数は減っていますが、「博多水無月」の販売実績は上がっていますから、皆さん、続けていこうと思いますよね。今年は、研究会のメンバー20社が各々の工夫を凝らした「博多水無月」をつり、32店舗で販売しています。販売期間は5月19日から7月31日までで、6月は福岡三越と博多阪急で催事を催し、多くのお客様にご来場いただきました。
近年、組合に入会される方は、皆さん研究会に入ることを希望されます。「博多水無月」に関わるためには、研究会に入ることが条件でもありますから、組織の存在意義や魅力も高まったのだと感じています。
―「博多水無月」以外の商品にも取り組んでいるのですか。
松本
研究会では毎年、「博多水無月」をテーマにしていますが、他の活動も行います。例えば、福岡商工会議所が毎年主催している「博多うまかもん市」にも10年間出店しました。博多の老舗が集まってデパートで1週間、催事を開催します。研究会が参加するようになったのは、20年目にあたる2000(平成12)年に福岡市商工会議所からグループで参加しないかと誘わたのがきっかけです。「博多水無月」を出した翌年のことで、その成功に興味をもってくださったそうです。
その年の「博多うまかもん市」のテーマは「祭り」でしたので、餡を赤飯で包んだ「祭りおはぎ」を研究会のみんなでつくりました。すると、「祭りおはぎ」が、告知用のポスターに採用されました。おかげで、レジの前には大勢のお客様が並ばれ、最大90分の待ちができる程の賑わいとなりました。「祭りおはぎ」の売れ行きは好調で、1店舗の売上としては20年間で最高額を記録したそうです。
会場で販売していた研究会に所属する年配の方が「お客さんを目の前にして、お菓子はこんなに売れるものだということを再認識した」と言われたのが印象的でしたし、嬉しかったですね。ここでも、関わったみんなが成功を実体験したのですから。
短期間で利益集団に生まれ変わった
―成功を積み上げることで、研究会の求心力はますます高まります。
松本
お誘いを受けた時に、とにかく10年間だけやろうということで研究会のカリキュラムに入れました。販売する商品も毎年同じものを作るのではなく、テーマに沿った新しいものでチャレンジすることを10年間続けました。ただ、毎年新しいものをやるとなると、材料だけでなく、はかりや粉ふるいなど、いろんな器具類を購入するために経費負担が増えますし、次の年まで器具を保管しなければなりません。また、同じ器具を使い続けると、次の年も同じ発想に寄ってしまう心配もありました。
そこで、イベントが終わって1週間後には、使用した器具類を研究会のメンバーに半額ほどで売ることにしました。1週間しか使っていない器具ですから新品同様です。それが、半額で買えるのですから、みんなも喜びますし保管場所も必要なくなります。その機会に買えなかった人は、購入も考えます。器具を販売する会社からも「研究会に器具を出すと、その後売れるようになる。研究会には割引して売りましょう」と有難いご提案までいただき、組合の負担はさらに軽くなりました。
こうして組合で研究会を立ち上げ、「博多水無月」や博多うまかもん市での共同販売などを続けた結果、組合は短期間で利益集団に変わりました。
組合員同士のコラボも生まれる
―利益が出るようになると、新しいことへの投資もできます。
松本
研究会では、活動で上がった利益を使って、「誕生餅(1升餅)」を啓蒙する冊子を作りました。誕生餅は、1歳の誕生を祝い、子供の健康と健やかな成長を願い、子供に餅を踏ませたり背中に背負わせたりするなど、そのやり方は地域によって異なります。そこで、研究会では、誕生餅の伝統を周知、徹底させるため冊子を作ったわけです。
冊子を使って各店がPRすれば、結果として餅の売上につながると考えました。1冊目は24ページ、2冊目は36ページの冊子を作って販売し、それも資金源になりました。
―地域の文化を掘り起こし、浸透させることで、関連する商品の販売にもつながる。「博多水無月」も福岡の新しい夏の和菓子文化をつくることで、定着しました。誕生餅の冊子も地域文化を支え、押し上げる力になりますね。冊子は、何部発行されたのですか。
松本
1冊目は1万部、2冊目は3万部作りました。1冊目は、研究会や組合の関係先に、2冊目は餡や砂糖の業者さんにも卸し、他のエリアに広げていただきました。結果として、もち米などの材料の消費も上がりました。こうして、周知徹底されたおかげで、参加した研究会の店舗での誕生餅の注文が増えました。私の店でも、誕生餅の受注が冊子を作る前の約10倍にもなりました。
―商品開発や販売を通してお互いのことを深く理解できるようになるでしょうから、店舗同士のコラボ商品なども生まれる効果が期待できます。
松本
当店で、「博多カステラ」というお菓子を販売していますが、これは研究会の仲間四社で製造販売しているものです。2011年3月、博多阪急の出店の記念に、みんなで考えて作った商品です。「饅頭発祥の地である博多に、饅頭に見えるカステラがあってもいいじゃないか」ということで、丸いカステラを作りました。
この業界で40年仕事をしていますが、「博多カステラ」は、年間で1億円売れる商品になるという確信を持っています。お客様にも大変好評です。「博多カステラ」を出したことで、他業種からもコラボ商品のお話をいただいております。例えば、お茶の伊藤園さんからOEMの形で大阪と博多の伊藤園のショップで抹茶タイプとほうじ茶タイプが販売されています。ありがたいことに、OEM生産については現在、複数のお話をいただくなど、良い波及効果があらわれています。
―これだけの実績を上げてこられた研究会ですから、これまでにない話もくるかもしれませんね。
松本
「チャンスと言った者の所にしかチャンスは来ない」と思っていますので、これからもチャレンジできることには積極的に取り組み、福岡の和菓子文化に少しでも貢献していきたいと考えています。
法人概要
名称 福岡市和菓子組合(任意団体)
住所 福岡市中央区春吉3-15-30
理事長 松本 弘樹
事業内容 会員の相互情報交換、共同購入。部会としての「新福岡・博多の和菓子開発研究会」に
よる業界活性事業。
組合員数 40社(個人経営者を含む)
Trend&News Navi(ビス・ナビ)Vol.121(2021年7月号)
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