Trend&News ■福岡縣護国神社 田村豐彦氏
世界では国同士の争いや内戦など、多くの地域で紛争が絶えることなく繰り返されている。国連UNHCR協会によると、迫害、紛争、暴力、人権侵害などにより故郷を追われた人は、2022年末で1億840万人にのぼるという。日本は78年間、平和を保ってきた。それは、国難から家族や大切な人を守るために亡くなった先人たちの犠牲の上に成り立っているものである。福岡縣護国神社(福岡市中央区、田村豐彦宮司)には、国の為に亡くなった福岡出身者13万人の御霊が祀られている。護国神社が出来た経緯や日本古来の神道の考えを通して、家族の在り方や平和について考えたい。
明治天皇の発令によってできた招魂社が起源
―毎年8月のお盆に「みたままつり」を開催され大勢の人で賑わいますから、お祭りを通して護国神社を知る人は多いと思いますが、由緒については案外、知られていないように感じます。まずは、護国神社の起こりから聞かせてください。
田村
明治天皇の「新しい国づくりに尽くした人たちをお祀りしましょう」とのご発令を受けて明治元(1868)年5月、旧藩主や地方の有力者などが、それぞれの地域で招魂社をつくり戦没者をお祀りするようになり、全国に広がりました。
福岡県では、6つの招魂社が作られました。福岡藩第12代藩主・黒田長知(ながとも)は那珂郡堅粕村「妙見招魂社」と馬出村に「馬出招魂社」を創建。その後、明治39(1906)年に両社は合祀され「妙見馬出招魂社」(現福岡市博多区東公園)となりました。久留米藩第11代藩主・有馬頼咸(よりしげ)は、三井郡山川村(現久留米市)に「山川招魂社」、柳川藩第12代藩主・立花鑑寛(あきとも)は山門郡三橋村(現柳川市)に「高畑招魂社」を、小倉藩第10代藩主・小笠原忠忱(ただのぶ)は京都郡祓郷村(みやこ町)八景山に「八景山(豊津)招魂社」を、そして、華族・高千穂教育は田川郡伊田町(現・田川市)に「伊田招魂社」を創建しています。
招魂社は、昭和14(1939)年に護国神社と改称されます。そして、昭和18年(1943年)四月、県内の護国神社を統合して「福岡縣護國神社」に改称、内務大臣指定護国神社となりました。併せて、現在の場所に移り今日に至りました。この場所が選ばれた理由は福岡城に近く、福岡の中心地でもあったからだと聞いています。
―明治維新以来、現在までの戦没者をお祀りしているわけですね。
田村
明治天皇のご発令の中に「以後、国家に殉じた方、任務命令で亡くなった方を男性女性の別なくお祀りしましょう」というお言葉があります。ですから、戊辰戦争以後の日露戦争や大東亜戦争で亡くなった方々もお祀りしています。
終戦後に宗教法人法が施行されたことで、神社は国の管理から離れて独立した宗教法人になりました。
13万柱の英霊を祀る
―都市部の神社としては、かなり大きな規模ですね。
田村
緑の境内地に約1万6,000坪の敷地があります。この広大な敷地に13万柱のご英霊をお祀りしています。「人」ではなく「柱」と表現するのは、古来から、神様は樹木に宿ると考えられていたことから、1柱、2柱、3柱と柱で数えるためです。福岡縣護国神社は、全国の護国神社のなかで2番目に多い13万柱の神様をお祀りしています。いかに多くの福岡の人が国を守るために亡くなられたかが想像できますね。
―福岡縣護国神社といえば、大鳥居が有名ですが、使われている檜は台湾から日本まで輸送したとうかがいました。
田村
福岡縣護国神社創建にあたり、広大な敷地に相応しい鳥居をつくるため、当時から有名な台湾の阿里山(ありさん)から御用船「第二興東丸」で運搬し、博多港で陸揚げしました。ところが、当時は、巨木ゆえ車両での輸送ができなかったため、地面に並べた丸太の上を引いて運ぶコロ曳き方式によって、周辺の国民学校の児童らが力を合わせて、なんとかここまで運んできました。たいへんな重労働でしたが、当時は皆がまとまっていましたからできたことでもあると思います。
檜の原木のままの鳥居としては、日本一の大きさだと聞いています。
「おかげさま」の心が大事
―終戦から78年という時間が経過し、人々の考えが変わったように思います。個人としての権利ばかりが強調され、国や公に対する意識が希薄になっているように感じます。
田村
国は人がいなければ成り立ちません。しかし、戦争や内紛で国がなくなったり、国を追われれるなどして難民となる人が世界中で増えています。
日本も邦家艱難で解決すべき多くの課題を抱えていますが、それでも、日本という国がある。126代も続く天皇をいただく歴史があります。
確かに、2,000年以上という長い歴史のなかで大きな国難もありました。元寇や日露戦争、大東亜戦争など外国との戦いによって、脅威にされされたこともあります。国や先祖が命をかけて守ってくれたから今の私たちがあるということを忘れないようにしたいものです。
今、これまでの国難とは異なる危機を迎えているように感じています。日本人によって国が壊れるかもしれないという危機です。
当社では、お祀りしている方々の命日月に「祥月命日祭」を執り行いますが、ご遺族や関係者の登録数は年々、減少しています。ご遺族の高齢化もありますが、最近は、親が子供に負担をかけたくないから慰霊を強要しないという話を聞きます。亡くなった方々に手を合わせることが負担になるでしょうか。
親の葬儀を出さない、お祀りもしないという現象も一部では起きています。残念なことですが、先祖との絆が切れているご家庭もあるようです。それは、自分と子供や子孫との絆も切れる可能性が大きいということを意味します。
―原因は、家庭にあるということですね。
田村
一番残念に思うのは、家のなかに神棚や仏壇等もなく、日頃から手を合わせて神様や先祖に感謝する機会をなくしている家が増えていることです。祖父母や両親がいなかったら今の自分はない、そういう当たり前のことを意識できない環境の中で、「おかげさま」の心が廃れていると思います。
毎日、神棚や仏壇に「おはようございます」と手を合わせる。仏壇がなくてもご先祖の写真を飾って、朝は「おはようございます」、夜は「今日一日ありがとうございました」「お休みなさい」と言って手を合わせると、家の中に気が巡るようになります。そういう、当たり前のことをやっていくと、家庭も日本も良くなっていくと思います。
―神社やお寺に参拝することも、おかげさまの心を養うことになりますね。
田村
もちろん、寺社に参拝することは、目に見えないものを敬い、感謝することですが、
そもそも、おかげ様という気持ちがないかぎりは、護国神社に参拝に来られても、亡くなった方々に対する感謝の心を持つことが少ないように感じます。家に神棚や仏壇があって、毎日お参りをしているような環境と習慣を持っている人は、護国神社に参拝に来られると、先人のおかげということをより理解されているようにお見受けします。
平和を願う象徴として
―ロシアによるウクライナ侵攻や民族間の対立、内紛などで苦しむ人が増え、平和を求める声が高まっています。こういう時期だからこそ、戦没者を祭る護国神社の役割はこれまで以上に重要になると思います。
田村
護国神社でお祀りしている神様は13万柱のご英霊です。神道において皇室の祖先神である天照大神は太陽神の現われで、みんなを等しく家族として考えています。初代天皇である神武天皇は、「八紘一宇(はっこういちう)」と示されました。天の下に住む皆が1つの家に住む家族であるという意味で、平和を願った言葉です。
神道には教義も経典もありませんし教祖もいません。自然と共に、祖先と共に、みんなと共に仲良くやりましょうという考えを根本に置いています。
―護国神社は平和を願う象徴の場でもありますね。
田村
護国神社は平和を祈って亡くなられた13万柱(神様)がいらっしゃるわけです。家庭の平和、地域の平和、国の平和、世界の平和を願う象徴として手を合わせていただければ、神様に喜んでいただけると思います。
当神社の神様は、国の為に亡くなった方々ですから、たくさんの人に来ていただくことが喜びでもあると思います。
催し物で人が集まる空間づくり
―年間を通して催される祭典も人が集う機会になります。
田村
国の平和と繁栄を願って亡くなられた方々への感謝と慰霊のために様々なお祭りをおこなっています。
―近年は、コンサートや蚤の市の開催のために境内を提供されているようですが、このような催しも人が集まり、神社のことをより知っていただく良い機会になります。
田村
広い敷地がありますから、ここで何かできないものかと考え、2007年11月に歌手の原田真二さんによる「鎮守の杜コンサート」を開催しました。2回目は2013(平成25)年に26世宗家・観世清和さんによる「護国の杜の薪能」が開催されました。2016年からは、RKBの主催で葉加瀬太郎さん等の音楽家によるコンサート「福岡音楽祭・音恵」を開催し、毎年多くの方々で賑わいます。
また、蚤の市も回を重ねるごとに来場者が増え、西日本最大の規模になりました。そこで、蚤の市を夜にも開催しようと、お盆の「みたままつり」に合わせてナイトマーケットも開催されるようになりました。お祭りの中でのマーケットですから、昼とは違った趣を楽しんでいただいているようです。
神社での結婚式も増えており、コロナ前は年間140組程の結婚式を当社で挙げられています。おかげさまで、多くの方々に来ていただけるようになり、お祀りしている神様たちにも喜んでいただけているのではないかと思います。
―これだけのロケーションですから、いろんな催しものができそうですね。
田村
来られる人たちに喜んでいただける催しを開催したいと思っていますが、神社ですから、できれば日本的なものを中心に考えていきたいですね。
―様々な催しは、田村宮司が関わられたものだそうですね。
田村
田村家は代々、筥崎宮の宮司を務めてきました。私も筥崎宮に務めていましたが、明治神宮からお誘いいただき、しばらく明治神宮に務め、その後、縁あって当社の宮司を務めています。筥崎宮時代から、多くの人に来ていただくにはどうすればよいかを考え催し物などを企画していました。そうした経験が役に立っていると思います。
先祖とのつながりを大切にし、平和を祈る場として幅広い世代の方々に来ていただけるよう、今後も務めてまいります。
神社概要
名 称 福岡縣護国神社
住所 福岡市中央区六本松1-1-1
TEL 092-741-2555
御鎮座 昭和18年4月30日
御祭神 明治維新から大東亜戦争に至るまでの約13万柱のご英霊
宮司 田村豐彦
URL http://fukuoka-gokoku.jp/
Trend&News Bis・Navi(ビス・ナビ) Vol.146(2023年8月号)
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