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Trend&News 料亭 嵯峨野

和の心・日本の文化を継承していく場所に

2代目女将の藤井春奈子さん

福岡の街と博多・中洲の間を流れる那珂川。その川に架かる通称、向島住吉橋畔に佇む「料亭 嵯峨野」(福岡市博多区住吉)は、博多を代表する料亭である。1967(昭和42)年に先代・藤井克一氏が博多区中洲南新地に「味処 嵯峨野」を開業し、支店開設や移転を経て、1973(昭和48)年、現在の住吉の地に「料亭 嵯峨野」を開店した。

女将の藤井春奈子氏は、先代克一氏の長女にあたる。克一氏の死去に伴い、2代目として嵯峨野を継承。母で大女将の美砂子氏と共に、店の経営にあたってきた。福岡・博多エリアにおいて、惜しまれながらも料亭が1つ、また1つと姿を消していく中、2011(平成23)年には、老朽化した店舗を建替え、新生「料亭 嵯峨野」をオープンさせた。

先代の克一氏は、勉強のために懐石料理店に修行へ出ただけでなく、世界や知識を広めるため、とお茶の稽古も欠かさなかったそうだ。また、長年勤める社員の方が「先代は、いわゆる時代の寵児でした」と言うように、料理学校へ後進の指導や講義、試食会に行ったり、各テレビ局からの依頼を受けて、毎日のように料理番組に出演したりと、多忙を極めていた。「お茶の仲間に限らず、とにかく人とのお付き合いを大切にしていましたので、通常、料亭にはなかなか足を運ばない、女性のお客様もとても多かったのです」と女将は話す。「何にでものめりこむタイプで、料理や四季折々の器や室礼(しつらい)の吟味だけでなく、店舗の増改築や調度の変更など、頻繁に手を入れていたので、父の代では、いつも大工さんや職人さんが来ていた印象です」。

事業継承をきっかけに「和の文化サロン」をスタート

先代が亡くなったのが1996(平成8)年。「ちょうどバブル崩壊の頃で、何でも安いものを求められる時代になっていました。店を受け継ぐことになり、今後、料亭としてどう生きてゆくのか、価格帯を下げるべきか悩みました。どの飲食関連のセミナーに行っても『これからはファストフードの時代』と、いかに安く早くサービスを提供するかに重きを置く風潮でした。そんな中、一人だけ『値段を下げたら駄目』、『自分のところにしかないものを見つけて、付加価値に注目すべき』と言う方に出会いました。嵯峨野の売りは何だろうと考えました。その頃の私に出来ることはお茶のお稽古を通して学んだ作法をお伝えすることでした。そこで、若い女性を対象に和食のマナー講座を開催することにしました。ただ、マナー講座ではリピーターは見込めないので、次なる手を考え、日本文化を凝縮した料亭だからこそ出来る、文化に触れる会を立ち上げ、お箸や漆器など1つひとつにスポットを当て、講師を招いてお話をしていただきました」。

もともと女性客が多かったのも、店を支える力となった。また、当時、女将が青年会議所に所属していたこともあり、会員を含め、多くの方々に実施したアンケートから「料亭の使い方がわからない」、「芸妓さんの呼び方がわからない」といった声を聞き、芸妓だけでなく幇間(太鼓持ち)も含めた、いわゆる「お座敷遊び」を体験する会なども企画、開催した。

「日本文化を継承していくことも、私たちの大切な使命だと考えています。毎回、盛況というわけではありませんでしたが、五年ほど経つと、お客様から『嵯峨野では何かいろいろと催しをやっているみたいだね』と聞くようになりました」。日頃、触れる機会の少ない日本の伝統芸能やお座敷文化、箸椀や食器など、細部に込められた、職人・匠の技など、様々な分野の日本の古き佳きものを伝える「嵯峨野発 和の文化サロン」は、現在でも続いている。それ以外のイベントも折々開催され、来年の1月15日からは「おんな正月」の企画もある。「おんな正月」は博多に伝わる風習で、忙しい正月の期間を過ごしたごりょんさん達女性が、ゆっくりと女性だけで憩うもの。嵯峨野では博多雑煮などのメニューを楽しむことができる。

店舗の建替え計画

女将が経営を引き継いでから10年ほど経った頃、建替えの話が持ち上がる。きっかけは福岡西方沖地震だった。幸いなことに、大きな被害は免れたが、建物自体の耐震性が問題となる。増改築を繰り返していることもあり、構造上の弱点が多く、経年もあって、建替えを余儀なくされた。

 「当初、これだけの建物と建具などを、全て新しくするのは現実的ではない。将来を考えて、マンションを建てて1~2階を店舗にする、という案でまとまりました。図面も出来、細かい打合せも進んでいましたが、どこか心の中で嫌だなという気持ちがあったのは確かです。そんな中、表千家の全国大会が福岡で開催されることに決まった、と聞いたのです。父の頃からご縁があり、節目節目で表千家に関わるお仕事をさせていただいていて…。もちろんお断りする選択肢はありません。厨房の問題もあり、建替えの話は、一旦、延期と致しました。その頃、ある方から、『建替えという大きな事業を考えているのだったら、毎月1日には先祖のお墓参りと、神社へのお参りは欠かさないようにしなさいよ』、とアドバイスをいただきました。当時私は『今までして来なかったのに、急にそんなことになったからとお参りするのは偽善ぽくて気が進まない』と言ったのですが、『偽善でもかまわないからやってごらん』と言われ、やってみることにしました。それからは、大きな予約が入ったりすると、あぁ、やっぱりお参りしているおかげなのかな、と感謝するようになりました。不思議なものですよね」。

縁と出会いがもたらした最上の結果

表千家の全国大会も無事に終わり、いよいよマンション建築に向け、再スタートしようとした頃に、リーマン・ショックが起きる。「やっぱり店をマンションの一部にするのは時期が悪いし、やめた方が良い、と言ってくださる方もいたので、独り身の私を心配していた大女将である母を、ようよう説得して、本業で頑張ろうと、マンションをやめ料亭を建替えることにしました。この全国大会の際に、人形作家をご紹介したのがきっかけで、ご縁をいただいた、暮らし十職一級建築士事務所の前田伸治先生に設計してもらうことになりました。本格的な数寄屋造りの建築にとって、材料となる木材の調達は、その頃の時勢としても大変だったのですが、前田先生のお力添えによって、青森・八戸産のもので揃えることができました」。

さらに「棟梁はじめ7、8名の大工さんが青森から来てくださったんです。皆さん、木材一つひとつ、どの面が一番美しく見えるかを計算して、本当に、ち密に作業していただきました。木材って、いくらお金を出しても、必ずしも良い材料に出会えるとは限らないんですよね。命あるものの価値を活かし、生かしていくという作業を目の当たりにすることができた。この経験によって、私自身、人としてとても大切で大きなものを学ぶことができました。建設中、本当にどの部屋も、木が喜んで踊っているように見えたんですよ」。
前田氏による新生「料亭 嵯峨野」は第25回福岡県美しいまちづくり建築賞「大賞」を受賞している。和の建築物で、しかも個人所有の建築物としては初めての大賞受賞だそう。「これはある意味、料亭が公の建物として、認められたのかもしれません」と女将は云う。
また、全ての大工をまとめてくれた中里棟梁(大山建工)も昨年、現代の名工に選ばれたそうで「この嵯峨野の建築に、縁あって携わってくださった方々が、評価を受けたのは、この上なく喜ばしいことです。限られた予算の中、良い材料が集まってきてくれて、携わってくれた方がそれぞれ最大限の仕事をしてくれた。素晴らしい方々の力が結集して、永く残していきたい場を作り上げてくれたことを誇らしく思いますし、本当に有難いことだと思っています」。

工期中の別邸営業

建替えの間、博多区下川端町の博多リバレインで「嵯峨野別邸」として仮店舗営業をすることとなる。「銀行からは、建設工事中は店を閉めて、従業員も一旦、解雇して、完成したら再雇用した方が良かったのじゃないか、と言われましたが、商売は続けていないと駄目、という大女将の信念で、一旦閉店するなど一度も考えたことはありませんでした。仮店舗の経営は本当に大変でしたが、新店舗への引越し・開店準備と雇用を続けていたからこそ、スムーズに事が運んだと思います」。「別邸営業の間が、新型コロナウイルスの頃よりも、何より苦しかった」と女将は語る。「個人的にも初めて、賃貸マンションで1人暮らしをしながら、厳しい経営にあたることになりました。営業についての制約もあり、光熱費など、はっきりいってこれまでは、それほど頓着していなかった部分が重くのしかかってきたんです。テナント家賃など、月々の支払いが本当に苦しく、母にお願いしたり、私個人の貯金も切り崩して、何とか乗りきることができました。今となっては笑い話ですが、最後の月など、自分の住まいの家賃が先払いで良かった、とほっとしたんですよ」と、笑いながら話す女将は、華奢で小柄な方だが、凛として、強い信念を感じさせる雰囲気を纏っている。

新生嵯峨野で和の空間と文化を発信

様々な状況を乗り越え、それぞれの思いが結集して、2011(平成23)年7月、新生「料亭 嵯峨野」がオープンした。「おかげさまでオープン後は、たくさんのお客様にいらしていただき、とても忙しく、あっという間に1年が過ぎました。そうこうするうちに2014(平成26)年に、ミシュランの3つ星をいただき、さらに忙しくなりました。とても目まぐるしく、大変でしたが、経営的な数字としては、本当にご褒美をもらったようなものでした」。

その後も好評を続けており、「店が新しく出来上がった時、〝あぁ、父が見たら喜んでくれるだろう。こういう建物を作りたかったんじゃないか〟と心から思うことができたんです。本格的なもの、一流のもの、美しいものに囲まれた空間の中で、美味しい料理をお客様に楽しんでいただける場を創ることが出来ました。そして、この住吉という場所で、嵯峨野を続けていき、この空間を通じて、日本文化のすばらしさを継承し、発信していくことが使命なのだと感じています」。

さらに「良い空間と場所というものは、お客様と従業員が一緒に作り出すものだと思います。良い人たちが集まるところに良い空間が生まれるので、この場所を理解し、楽しんでくださる、本当の意味で『良いお客様』に来ていただく場所にしていきたい」と話す女将。

今回、従業員研修に同席し、女将が語る嵯峨野の歴史を従業員の皆さんと一緒に聞き、これからの「料亭 嵯峨野」のありたい姿、あるべき姿を共有していこうという思いを感じることが出来た。
何に価値を求め、何を感じるかは、人それぞれだが、ここ「料亭 嵯峨野」は、非日常空間の中で、和の心と文化の真髄を味わうことが出来る場所だと確信した。そして、自分自身、ここにふさわしい人になりたいと思った。

会社概要

名称   料亭 嵯峨野
住所   福岡市博多区住吉2-21-19
創業   昭和42年10月
代表   藤井 春奈子
事業内容 料亭経営
URL    https://www.hakata-sagano.com/

Trend&News  Bis・Navi(ビス・ナビ) Vol.149(2023年11月号)

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