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美味しく体に良い和食文化を支えるため人の手で鰹節をつくり続ける

老舗の知恵

老舗の知恵 ■株式会社林久右衛門商店 5代目・林剛一郎 氏

鰹節は1300年以上も前から豊かな日本の食文化を支えてきた。美味しく体にも優しい出汁をとれる鰹節を作るためには、気が遠くなるほどの手間と時間を要する。株式会社林久右衛門商店は、その手間と時間を惜しまずに和食文化を支えつづけてきた。

創業時は鰹節の問屋業を営む

2013年(平成25)12月、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録された。健康志向が高まった欧米先進諸国でも健康的な食事として評価され、ブームが起きるほどだ。和食は自然の素材が持つ味を引き出す調理法を重視するが、それを支えるのが出汁でもある。出汁をとる食材はいくつもあるが、鰹節はその代表格といえる。

鰹節の歴史は非常に古い。西暦712年(和銅5)に編纂された日本最古の歴史書とされる『古事記』に「堅魚(かたうお)」の記録があり、それが鰹節の原形とも言われている。堅魚とは、鰹を素干にしたもので、それを煮て干した煮堅魚、さらに煮汁を煮詰めた堅魚煎汁などもすでに存在していたようだ。室町時代には、薪などを燃やした煙でいぶす焙乾(ばいかん)技術で、現在の鰹節に近いものが作られた。焙乾は、香りをつけるとともに殺菌作用によって保存期間を延ばす効果がある。そして、江戸時代に入ると煮熟・焙乾・カビ付けといった現在の鰹節の製法が確立された。

林久右衛門商店を営む林家は元々、彦根藩(滋賀県)の藩医を務めていた家系であるが、1885年(明治18)に久右衛門が三重県四日市富田一色で鰹節問屋を始め、5代136年にわたって鰹節を扱ってきた。創業の地・富田一色は明治期、全国屈指の鰹節集散地として栄えていたこともあり、久右衛門は地の利を生かして商売を広げた。その後、1953年(昭和28)に福岡で工場を新設したことが縁となり、本社を現在の福岡市博多区に移す。

昭和28年、福岡に工場をつくり福岡に本社を移す

時代の変化を読み革新を続けた

戦後、日本人の生活は大きく変わった。急速な経済成長を支えるため、都市部に人口が集中し核家族と働く女性が増えると、働く女性の家事にかける時間と労力を軽減する商品の需要が高まった。同社も社会ニーズの変化に対応して革新を繰り返した。48年(昭和23)には削り節のセロハン袋詰めを業界で最初に手掛け、花かつお製造を専業とするようになる。72年(昭和47)には鹿児島県枕崎市に工場を建設し、鰹パック「ナチュラルパック」、80年(昭和55)には出汁パックを発売した。

5代目店主(社長)を引き継いだ剛一郎氏も時代のニーズをとらえ新商品を次々と開発した。なかでも、98年(平成10)に発売した「お吸物最中シリーズ」は、味だけでなく斬新な発想と見た目の華やかさが大きな話題を呼んだ。最中の皮に適したもち米を石臼で何度も繰り返し挽いてきめ細かくし、それをオリジナルの型に入れて一枚ずつ手焼きする。お吸い物の具は、商品によってカニ、のどぐろ、ふぐ、ふかひれ、松茸、鯛、ほたて、牛肉など厳選した食材を使用する。具材の味を引き立てるのが昔ながらの製法でとった出汁である。もちろん、化学調味料などは一切使わず、自然素材だけで昔ながらの製法にこだわる。この具材と出汁をフリーズドライ加工し旨味を閉じ込め、商品化したものである。

お椀に入れて湯を注ぐと、最中の皮がくずれて中の出汁が溶け出し、中から具材が現われる。焼いた皮の香ばしさとふわっとした食感の後から、凝縮された出汁と具材の上品な旨味が口の中に広がる。見た目の美しさもあって、発売から20年以上たった今日でも売れ続けている。

お吸物最中シリーズ。20年以上経っても売れ続けているヒット商品。

添加物を使わず、昔ながらの製法を守る

時代に合わせて革新を図ってきた同社だが、変えてはいけない核は守り続けてきた。それは、「自然の旨味に化学的なものを添加せず、昔ながらの製法を守り受け継ぐこと」だと五代目は力を込める。機械化の時代の今でも伝統的な製法にこだわるのは、その方が美味しくて体に良い鰹節ができるからだ。

鰹節の中でも最高級品である本枯節づくりの工程を見ると、まず、水揚げされた新鮮な鰹から鰹節に適した脂身の少ないものを選び、頭や背びれ、尾びれを切り落とす。内臓も取り除き節の大きさに切り分けると、1匹の鰹から四本の鰹節がとれる。切り身は煮釜で数時間かけて煮詰め、その後、身が傷つかないように手作業で丁寧に皮や鱗を取り除く。骨も雑味や節の変形の原因になるから、1本ずつピンセットで抜く。それから、鰹の個体差により火入れを約六回から15回行い燻製する「焙乾」と節を休ませる「あん蒸」を繰り返すことで水分を飛ばし、中心まで均等に乾燥させる。そして、表面のタールを削り形を整えた「裸節」をカビ付け庫で貯蔵し、カビの働きにより発酵・熟成させる。カビ付けした鰹節は水分を抜くため太陽のもと日干しにする。この工程を繰り返し行い本枯鰹節に仕上げていくという。この間、約半年から1年を要す。

同社が求める鰹節ができるまでには、気の遠くなるような手間と時間がかかる。今では機械化による効率化や添加物を入れて製造期間を短くする手法もあるが、同社は、昔ながらの製法を頑なに守り続けている。「人の手で百回さわって初めて本物の鰹節が生まれる」という言葉に込められた鰹節づくりの神髄を守り続けてきたのが同社の歴史である。
新商品を開発すると、他社が追随してくることが何度もあった。それでも、鰹節づくりの本質を知るからこそ様々な商品開発にも応用できるし、商品化までのスピードも早い。

長く事業を続けるには、時代の変化を読み取り、自ら革新すべき時がくる。変わるということだが、同時に変えてはいけないものを守り抜く覚悟と力も必要だ。変えてはいけないものは事業の核となる理念や技術、知恵だが、それは容易に定まるものではない。ひたむきに守り続け、核に芯を通してきたからこそ老舗といわれる存在になったのだと思える。

名   称 株式会社林久右衛門商店
創   業 明治18(1885)年
代   表 林 剛一郎(5代目)
住   所 福岡市博多区麦野5-23-17
      TEL.092-591-6008
事業内容 削り節製造・食品加工業
U R  L   https://kyuemon.com/


老舗の知恵  Navi(ビス・ナビ)Vol.118(2021年4月号)

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