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〝当代好み〟や初代への〝温故知新〟が 老舗和菓子店の現代ブランドとなる

老舗の知恵

老舗の知恵 ■株式会社鈴懸 3代目・中岡 生公  氏

名工として表彰された和菓子職人である中岡三郎氏が、1世紀近く前に博多の地で創業した老舗和菓子店『鈴懸』は今日、全国的にも注目されているお店だ。和菓子のおいしさを基点にしながら、空間デザインやパッケージデザインへの広がりもみせる洗練された〝鈴懸の世界〟観は、多くの人々の心を魅了して止まない。

3代目当主 中岡生公(なかおか・なりまさ) 氏

初代の名工から受け継ぐ、和菓子の〝美しさ〟

洗練されたスタイリッシュな店内には凛とした雰囲気も漂い、奥の小窓からは和菓子づくりに励む職人の姿をうかがえる。そして、店頭のショーケースで大皿に盛られた和菓子の数々は、素朴な中にも愛おしく感じさせる造形で人々の目を楽しませる。
関東大震災が発生した1923年(大正12)に博多の地において産声を上げた『鈴懸』は、創業時から1世紀近い歳月を経た今日、全国的にも注目されている和菓子店の1つだ。
現代の名工として表彰された和菓子職人だった初代の中岡三郎氏が培った匠の技や味は、現当主である3代目の中岡生公氏にも脈々と受け継がれ、新たな〝美〟へと昇華し続けている。

鈴懸本店

昔ながらの菓子店が評価、伊勢丹出店で全国区へ

「和菓子の矜持(きょうじ)として、基本的な味や製法など変えてはいけない面がある一方、デザインをはじめとする視覚的要素は変えていくことができる」と考える生公氏は、新たな要素を採り入れて進化させていきながらも、自らの原点を忘れない。
子どもの頃から初代だった祖父が手作りした大福を好物にしていた生公氏は、大阪の和菓子店での修行を終えて実家に戻ってみると、大福の味が昔と変わっていることに気づいた。

祖父が和菓子を手作りしていた時代から下って、2代目である父の代になると、国を挙げて大量生産・大量消費を推し進める時代を迎えていたのだ。特に1990年代初頭は、土産品・贈答品マーケットの拡大期でもあり、効率を追求した作り方に変わっていた。そして、大福を日持ちさせるために餅に糖分を混ぜる加工をしていたという。「和菓子は、裸のままが美しく、生のできたてを食べるのがおいしい」「父親が奥で手づくりしながら、母親が店頭で売るという昔ながらのお菓子屋の姿を変えたくない」と考えた生公氏は、原点回帰への勝負に出た。
それは、鈴懸とは別ブランドとなる、幅五尺の小さなショーケース1本に生公氏の好きな朝生菓子を八品だけを揃えた『鈴(りん)』という小さな店を地元百貨店へ出店することだった。毎朝、職人長がつくった生菓子を当日のうちに売り切るという昔ながらのスタイルは一見、時代に逆行したようにも映った。しかし、ありそうでなかった〝本来の当たり前〟の試みは、業界内外から大いに注目された。

そして、2002年(平成14)に伊勢丹新宿店へ出店すると、定番商品『鈴乃〇餅』は1日に1,000個も売り上げ、鈴形をしたひとくちサイズの『鈴乃最中』と共に人気を集める。
現在、福岡5店舗、東京2店舗、名古屋1店舗を構える鈴懸の各店舗では、鈴での原点回帰の成果を生かし、同じ五尺の空間をそれぞれ設けて、季節の花々で来店客をもてなしている。

鈴懸では、和菓子職人による手作りにこだわっている

老舗の〝当代好み〟が、ブランドの基点となった

和菓子へのこだわり、魅力的な店舗デザイン、「菓」の文字が印象的な紙袋、洗練されたパッケージデザイン……。老舗にも関わらず、鈴懸は現代的なブランディングでも秀でた存在として注目されることも多い。この点について、生公氏は、「特にブランディングに関しては意識しておらず、おいしいもの、おもしろいことを続けてきたら、いつの間にか今のような形になっていた」「かつてのお店では、それぞれの主人が、自らの好みを前面に打ち出して、〝当代好み〟の世界観を自らのお店で創り上げていた」と解説する。

ブランドとしても高評価を得ている鈴懸だが、意外にも確たるブランディング戦略は存在しない。むしろ、地元で活動する有名無形のクリエイターらとの交流を通じて、〝鈴懸の世界〟を創り上げてきた経緯がある。
店舗設計を手掛ける建築家、季節の掛け紙を描く日本画家、店頭でお菓子を盛る大皿を焼く陶芸家、看板を制作する漆芸家、のれんを染める染色家……。多彩な作家と生公氏は、共に語り合って考えてきた思いを鈴懸のカタチとして世に送り出している。実は、店舗内や事務所内での文字表記に用いる書体自体も鈴懸のオリジナルデザインだ。
これらは、社外の専門家に丸投げすることなく、すべて生公氏の当代好みというフィルターを通して生み出された作品の数々であり、鈴懸の魅力としても輝きを放ち続けている。

鈴形をしたひとくちサイズの『鈴乃最中』は、人気の
定番商品の一つだ
竹籠のパッケージは日常でも使えるため、重宝されていることも多い

本質を変えることなく、進化し続ける老舗の矜持

名工とうたわれた初代を祖父に持つ生公氏は、菓子職人ではなく、プロデューサー役に徹している。意外にも思える立ち位置について生公氏は、「かつての修行先で〝お菓子が好きだ〟とあらためて自覚した半面、私自身は職人に向いていないことも気づいた」。そして、プロデューサー役に自らの活路を見出したのだ。
生公氏自身は、尊敬の念を抱く和菓子職人らが手作りしていく菓子の価値自体を高めていくことに打ち込む。また、社外でつながっている多彩なクリエイターの面々にとっても生公氏の存在は、プロデューサー役だ。

「今後も磨きを掛けていきたい」「本質を変えていかないためにも老舗は、常に小さく変わっており、いつの間にか変化している」とする生公氏は地元・博多で生まれ育ち、780年の歴史と伝統をもつ博多祇園山笠では東流に所属する。そして、福岡青年会議所時代には、中洲JAZZの立ち上げも手掛けた。

いま、地域に根付いた老舗の3代目当主である生公氏は和菓子店とアーティスト、文化芸術関係者、さらに地域の人たちにとって、新たな共生・共創のまちづくりとなる〝アーティストビレッジ構想〟を思い描きながら日々、自らの仕事と向き合う。

<会社概要>
名  称  株式会社鈴懸
創  業  大正12(1923)年
代  表  中岡生公(3代目)
住  所  福岡市博多区下呉服町4-5
      TEL092-291-2867
事業内容  菓子の製造・販売
URL    https://www.suzukake.co.jp/

老舗の知恵  Bis・Navi(ビス・ナビ) Vol.122(2021年8月号)

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