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「変えないために変え続ける」 事業の核を守りつづける老舗の力

老舗の知恵

老舗の知恵 ■株式会社廣久葛本舗 10代目・髙木久助 氏

老舗を語る時、「歴史は長いが伝統を頑なに守り続けているだけの古い体質の組織」だという人も多い。歴史が長いという認識は当たっているが、何代にもわり事業を継承してきた老舗は、様々な自己革新を繰り返して作り上げてきたということを忘れてはならない。秋月で10代200年余にわたって「久助葛」ブランドの本葛を作り続ける株式会社廣久葛本舗は、まさに自己革新を繰り返してきた老舗である。

       10代目 髙木久助氏

秋月藩の御用商人

廣久葛本舗が店舗を構える福岡県朝倉市秋月は、秋月氏が秋月城を本城として鎌倉時代から、江戸時代には福岡藩の支藩(5万石)として黒田家が治めた。今も、城跡や周辺を散策すると当時の面影を残した建物や石橋など風情のたる街並みを楽しめるとあって訪れる人も多い。そうした、旧城下町の一角に佇む廣久葛本舗の店舗を含む建物は260年ほど前に建てられた。明治6年に起きた筑前竹槍一揆の際に柱に刻まれた斧や鍬、刀の傷跡が残っており、歴史の重さを伝えている。店内では、本葛や本葛粉、葛切り、葛湯などの販売のほか、喫茶スペース葛茶房「葛の花」で葛やお茶も味わうこともできるとあって人気を集めている。

廣久葛本舗は、葛の製造を始めた初代・髙木久助(髙木家当主は代々、久助を名乗る)から創業202年を数える葛の老舗だが、高木家は代々、秋月藩の御用商人として造り酒屋や蝋燭の製造などを営んでいたから、その時代まで含めるとさらに長い歴史を持つ商家である。葛の生産をはじめた背景には、当時の秋月藩が抱える財政問題が関係していたと思われる。江戸時代も後期にさしかかると、参勤交代や普請、天候不順による作物の不作、さらには天明年間に起きた大飢饉のあおりで、経済的に行き詰る藩が続出した。幕府も諸藩に経済再建の命を下し、秋月藩八代藩主・黒田長舒(ながのぶ)も新しい経済振興策を模索した。そのなかの1つに食用としての葛の生産があった。

葛のために本業を止めた初代の商人魂

当時、葛は薬として服用されるのが一般的で、食用としての習慣は秋月にはなかった。そこで初代・久助は、秋月藩の窮地を救うために葛の製造を申し出る。さっそく、近隣から葛を集めて製造するが、どうしても上手くいかない。そこで、質の高い葛を生産していると聞いた和歌山に単身乗り込み、葛づくりを学ぶことにした。この時代、他藩に長期間滞在することは危険も伴った。その危険を冒してまで、当主自らが修業に赴くというところに久助の並々ならぬ決意と覚悟が垣間見える。久助は御用商人として、何とか藩の財政再建に貢献しようと命懸けの思いで葛の製法を習得しようとしたのであろう。その思いは、本業だった酒と蝋燭づくりを止めて、葛の生産だけに専念したことからもうかがえる。

数年の修業を終えて秋月に帰国した久助は、文政2年に廣田屋(現在の廣久葛本舗)を創業した。久助が藩に納めた「久助葛」は高く評価され、幕府への献上品にもなった。秋月藩が、久助葛を江戸で販売すると料理や菓子に使われ大変な評判となり、葛のことを「久助」と呼ぶまでになる。葛の代名詞にもなった久助葛は、秋月藩に外貨をもたらす産業に成長し見事に秋月藩の期待に応えた。

築260年の店内。歴史の重さを感じる

自己革新の繰り返しが老舗をつくる

しかし、江戸から明治へと時代が変わると、御用商人としての地位と特権を失う。問屋機能を担っていた藩がなくなったことで、和菓子屋や料理店などへの販路を開拓する必要に迫られる。しかも、新規参入が増え激しい競争に晒されることとなった。この時、店を救ったのは「久助葛」のブランド力だった。葛の代名詞となるほど浸透していた久助葛を求め、関東などから直接注文が入り顧客を獲得することができた。

ところが、時代はその後も様々な難題を与える。昭和40年代にはライフスタイルや食文化が欧米化し、伝統的な和菓子や和食離れが進む。葛も売れなくなった。機械化による合理化や添加物を混ぜた安価な商品が出回ると、価格競争で疲弊した企業が次々と看板を下ろした。その結果、秋月で残ったのは同店だけとなった。そうした時代の変化に大きく揺さぶられながらも、歴代当主たちは初代久助が追求した本葛づくりにこだわり続けた。本葛を昔ながらの製法で作るのは、長い時間と手間を要する。その分、価格も上がることになるが、消費者は久助葛を選んだのだ。

久助葛は「宮内省御用」として認められた
昭和天皇即位の折りの大嘗祭に久助葛が献納品となった。写真は、8代目久助が福岡県からの使者に献納品を渡している様子。

200年以上も支持され続ける秘訣について問うと、10代目は「『変えてはいけないもののために変える』精神を受け継ぎ、自己革新を繰り返してきたからでしょうね」と目を細める。変えてはいけないものとは、葛づくりの根幹となる考え方や製法のことだ。同家では、葛の製法は一子相伝で当主だけが受け継ぐ最も重要なものとして大切にしてきた。一方、販売方法や商品化については、時代に合わせて変えている。8代目は、葛が秋月で採れなくなったことから鹿児島で葛を採取し秋月で本葛に仕上げるようになった。九代目は、業務用卸から小売りへ転換し、葛湯など消費者向け商品を開発し久助葛ブランドを守った。10代目も200年の重さを背負いながら、新商品の開発やネット販売など新しいことに挑戦し続けており、今では和食や和菓子だけでなく、フレンチやイタリアンなどでも食材として使われている。

近年、後継者不足で事業承継ができず廃業する企業や店が多い。事業を継ぐということは、それまでの歴史を背負うということでもあるが、10代目は、「小さい頃から葛屋がいかに良い商売かということを聞いて育ったから」と語る。自然を相手に昔ながらの製法で商品を作る。言葉にすれば格好いいが、大変な労力と時間を要する。「割に合わない」と感じることも多いはずだ。しかし、10代目は「葛が好きですから」とサラリと答える。好きだから大変なことでも耐えられる。幼い頃から葛の魅力や商売の面白さを伝え、後継者が葛を好きになる環境を作った先達の知恵ともいえる。老舗である所以がそこにもあるようだ。

葛湯詰め合わせセット
自宅でつくれる葛もちも人気だ
一子相伝で作り上げられる久助葛は葛の代名詞にもなった。

名   称 株式会社廣久葛本舗
創   業 文政2(1819)年
代   表 髙木 久助(10代目)
住   所 福岡県朝倉市秋月532
      TEL.0946-25-0215
事業内容 葛製造販売
U R  L   http://www.kyusuke.co.jp/

老舗の知恵  Navi(ビス・ナビ)Vol.118(2021年4月号)

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