経営者の知恵を後継者に残すことで100年企業の基礎を築きませんか

食用油から食品問屋、めんたいこ製造へ多角化でも商いの原点は変わらず

老舗の知恵

老舗の知恵 ■老舗の知恵 株式会社山口油屋福太郎

福岡市南区五十川にある本社屋と本社工場

辛子めんたいこや『めんべい』などの人気商品で知られる株式会社山口油屋福太郎は、1万5,000品目を取り扱う総合食品問屋でもある。さらにレストランや居酒屋、温浴施設も経営するなど、多彩な顔を見せる。100年余り前に創業者が手掛けた食用油を祖業として、今日も取り扱い続ける同社の商売に対する姿勢は、初代からのDNAとして、今日にも脈々と受け継がれている。

4代目(会長)山口 毅 氏Y DSC
5代目(社長)田中 洋之 氏

創業家のDNAとして受け継がれる初代の姿勢

辛子めんたいこや『めんべい』を開発・生産する総合食品製造業であり、西日本全域に供給する食用油をはじめ調味料や穀類、冷凍食品など1万5,000品目を取り扱う総合食品問屋でもある山口油屋福太郎は業歴1世紀余の老舗企業だ。
佐賀県有田町にある寺院の次男として生まれた創業者の山口源一は、福岡県直方市にあった谷弥百貨店に勤めた。そして、食用油を取り扱ったことが、同社と食用油との出会いとなった。その後、源一が直方で油を商う食料品店を開設した1909年(明治42)は同社の創業年だ。

当時、原始的な精製法で粗悪な菜種油が多かった中、研究熱心だった源一は不純物をほぼ取り除く新たな精製機を発明した。そして、精製して透き通った高品質の菜種油を『水晶油』と名付けて売り出すと、大阪や東京などの料亭からも注文が殺到するなど飛ぶように売れた。その後、源一は、事業拠点を直方から博多の地へ移していく。

初代源一から受け継ぐ創業家のDNAについて、5代目となる田中洋之氏は、「『利益はそこそこに、まずお客さまが利することを念頭において商う』『お客さまに損をさせない』『陰に日向を支える』など、創業者が語った商いに対する姿勢そのものに尽きる」との考えを示す。
水晶油の売り上げが好調に伸びていく中で起きた世界恐慌は、菜種油の暴落という事態をもたらし、山口家に莫大な借金を残す結果となった。源一の妻であり、2代目を継いだリウは、当時15歳で福岡商業学校2年生だった長男の重氏(しげうじ)に3代目就任を懇願した。そして、重氏を先頭に山口家は家族一丸となって、莫大な借金返済に取り組んだ結果、十数年の歳月を要したものの見事完済した。

祖業の食用油から始まる、食品製造や問屋への多角化

創業以来、食用油を専業として営んできた同社にとって一大転機となったのは、「レストランで扱う物すべてを売ろう」との方針で60年半ばから取り組み始めた食材・原料や外食産業用資材を幅広く取り扱う総合食品問屋への拡大路線だった。
そのキーマンは、重氏の長女である現相談役の勝子氏が従弟の紹介で知り合った福岡商業の先輩であり、幾多の困難を乗り越えて結婚した後に山口家の入り婿となって4代目に就任した現会長の山口毅氏だった。毅氏が率先垂範で拡大路線に取り組んだ背景には、食用油における利幅の薄さという課題もあった。

一方、総合食品製造業への糸口となった辛子めんたいこの誕生もユニークだ。初めて辛子めんたいこを口にした勝子氏は、あまりの辛さに驚いた。試しに酒で洗ってみると、唐辛子と塩気が適度に抜けておいしくなった。これをきっかけにして自社での製造・販売へ乗り出す。独自に開発した2度漬け方法で味を染み込ませた辛子めんたいこは通常よりも辛子を少量にした。すると、子どもや女性からも広く受け入れられ、〝ごはんに合うめんたいこ〟として人気を呼んだ。
新幹線の東京~博多間全線開業で辛子めんたいこブランドである「福太郎」は一躍、地元を代表する人気土産品となった。これらの追い風もあって、同社の辛子めんたいこには、地元百貨店・岩田屋をはじめ阪急や伊勢丹などの全国の有名百貨店からの出店依頼が相次いだ。

バブル崩壊後は、新規事業として飲食分野や温浴分野への進出も図っていく。97年(平成9)9月、食をテーマに直営のレストランや居酒屋、宴会場などで構成した複合ビル『天神テルラ』が誕生した。2004年(平成16)11月、温浴飲食施設『湧水千石の郷』を福岡市早良区に開設(現在休業中)。その翌年12月には、福岡県筑紫野市に温泉と自然食ブッフェレストランを備えた『筑紫野 天拝の郷』をオープンした。

独自の2度漬け製法による辛子めんたいこ

『めんべい』が結んだ北海道と九州との縁

土産品として不動の人気を誇っていた辛子めんたいこは長年、要冷蔵で賞味期限が短いという懸案を抱えていた。常温で日持ちの良いせんべいに注目した勝子氏が、あえて〝割れやすいせんべい〟という逆転の発想も練り込んで開発したのが、辛子めんたい風味せんべい『めんべい』だった。

01年(平成13)6月の発売当初から人気を集めためんべいは11年(平成23)、TBSの人気番組『がっちりマンデー‼』で取り上げられると、全国的な人気に火が付いた。その一方で折からの異常気象でめんべいの原料であるジャガイモでんぷんが不足し、需要に供給が追い付かないという事態も生じていた。

そんなある夜、ラジオを聞いていた毅氏は、北海道東部の小清水町で世界一大きいでんぷん団子づくりに挑戦するという話題を耳にした。早速、現地へ飛んだ毅氏は、原料のでんぷんを確保すると共に地元からの要望で小学校の校舎跡を買い取って、小清水北陽工場を開設した。同工場では、めんべいに加え、北海道土産品として開発した『ほがじゃ』を製造する。

土産品としても人気の高いめんべい

創業百周年で伝える、まっすぐな商売の姿勢

 油の行商人は古来、油を入れた樽を天秤棒でかつぎ、柄杓で油を客の器に注いで売り歩いた。同社が創業百周年を機に新たに採用したシンボルマークは、世界万国で正確や正直の代名詞とされる天秤、そして油を入れた樽を百の字でデザインした。それは、これまでの百年から次なる百年へ誠実に受け継いでいく姿勢でもある。
創業以来、正直な商売に徹してきた老舗の〝まっすぐ〟な姿勢は、今日なお人々の心で灯をともし続ける。

(右)初代の山口源一の肖像と(左)100周年記念のシンボルマーク
祖業である食用油は今日も西日本全域で販売している

<会社概要>
名   称 株式会社山口油屋福太郎
創   業 明治42年(1909)3月
代   表 会長 山口毅(4代目)
      社長 田中洋之(5代目)
住   所 福岡市南区五十川1-1-1
      TEL092-475-7777
事業内容 辛子めんたいこ等の製造・販売、総合食品卸
U R  L    https://www.fukutaro.co.jp/ 

老舗の知恵  Bis・Navi(ビス・ナビ) Vol.123(2021年9月号)

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