神社訪ねある記 ■箱嶌 八郎
桜井神社(福岡県糸島市志摩桜井)
三月二九日、宇野さんの車で糸島市の櫻井神社をお訪ねすることになった。玄界灘に面する砂丘の松の防風林の奥に神社は鎮座ましましていた。
櫻井神社には垣根がない。どこからでも境内に入ることができる。親しみやすいお宮さんである。
正面には立派な大鳥居があるのだが脇道から駐車場に入った。昨日まで寒の戻りと春の長雨でどこも桜の開花が遅れているが、ここだけは不思議と満開であった。なかには散りかけて樹下に白い花蓆(はなむしろ)が敷かれていた。
ひょっこり出会ったご子息の外山禰宜(とやまねぎ)に挨拶をし、宮司様が少し遅れると言うことを知った。
その間に、広い神社を一巡り。杉木立の中の急傾斜の石段を数十段上ると櫻井神社の奥の院、櫻井大神宮ご遷宮の茅葺き屋根の工事に出会った。熊本から運んだという茅を屋根の反りに合わせて部厚く葺く伝統の技を目の辺りにしたのはラッキーだった。落成後、天照大神(あまてらすおおみかみ)様がお祀りされる神殿である。悪い膝を片手で庇いながら上ってきた階段を降り、息を整えて、社務所に戻った。
「良い風が通ってゆきます。社務所よりここでお話ししましょう」
ご用事から帰ったばかりの普段着の外山宮司が自ら長椅子(ばんこ)を並べ替え、気さくな口調で我々に座を勧められた。久しぶりの春の日差しを浴びて、気持ちよい青天井会談となった。
寛永年間に暴風雨に襲われ、お宮の前身地にあった六世紀頃の横穴式古墳が壊れて、岩山の岩窟から龍に化した神霊が現れ数々の霊験を伝えられたと言う。黒田家二代藩主忠之公がその噂を聞かれて足を運ばれ霊験を感じ櫻井神社を建立された歴史がある。
国指定重要文化財の古色のついた正面の楼門は創建当時のままの姿でなぜか竜宮城を思わせるロマンを感じる。乙姫様である与止姫(よどひめ)様を祀ってあるからであろうか。天照大神も収穫の神、豊受大明神もお祀りされている。
圧巻は年に一度、7月2日の4時からこの岩屋窟の扉を開いて宮司様が祝詞を上げられ一般の参観も許される夏祭りであろう。多くの参詣者が訪れるそうである。
八百万(やおよろず)の神々の中には吉神ばかりではなく荒ぶる神もおられますよ。神道はこの神を怒らせず、ご機嫌良くしていただくためお祭りすることもある柔軟な宗教なんです。民族の知恵でしょうね」
そう語られた外山宮司の言葉が印象的だった。
「他を認めず無限に殺し合い排斥し合う一神教とは大違いですね。日本には豊かな自然環境があるから認めあえるのではないでしょうか」
最近の世界ニュースを見てそう思うのは私一人ではないだろう。玄界灘からの潮風に鳴る松籟(しょうらい)を聞き、飛び始めた桜の花びらを浴び、身も心も癒やされ、石の太鼓橋を渡って神社を振りかえり神々に感謝の頭を深々と垂れて大鳥居を出た。
帰りは焼き牡蠣屋が軒を連ねる岐志漁港の前を通って志摩茶屋の方に走った。共通の知人、山本氏が引津湾に南面する岡に『グランピング施設ラストピース糸島』をこの3月15日にオープンされたので見せていただいた。看板からの坂道を上ると春光にキラキラ光る湾を一望する高台に近代的なキャンピング施設はあった。銀色に光るパオのような、秘密基地に着陸したユーホーのような半円形の素敵な建物が10棟建っていた。友人や家族とでも泊まれて自然を満喫し糸島の食材で自炊もできる施設である。この裏山に水晶山の立石山がある。水晶が発する風水の龍脈がこの地に集まっているようだ。大きな椿のシンボルツリーがパワースポットを示すように真っ赤な花をビッシリ着けていた。昼は玄界灘の潮騒を聞き、夜は満天のお星様を見て友人や家族で糸島の山海の珍味に舌鼓を打って語り合う。なんと贅沢な空間だろう。ぜひ泊まってみたいですなと宇野氏と話しながら福岡に戻った。
■桜井神社
御祭神 <桜井神社>
神直日神(かむなおひのかみ)
大直日神(おおなおひのかみ)
八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
<桜井大神宮>
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
住所 福岡県糸島市志摩桜井4227
URL https://sakuraijinja.com/
神社訪ねある記 Bis・Navi(ビス・ナビ)Vol.155(2024年5月号)
著者:箱嶌八郎(成風) 氏
有限会社タオコーポレーション・風水家相タオ設計工房主宰。
福岡市生まれ。当仁小、中学、修猷館高、早大卒。
西日本新聞TNC文化サークル・風水教室講師・もの書き屋・エッセイスト。
・第23回森鴎外記念北九州市自分史 文学賞
・第50回福岡市文学賞
・第3回子母沢寛文学賞「愛猿記賞」 等々大賞受賞。
著作:「されど風水」あり。
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