弁理士よもやま話 ■加藤合同国際特許事務所 会長 加藤 久
人類は、過去に何度もパンデミックを経験し、そして人類存亡の危機に晒されながらもその都度乗り越えてきた歴史がある。
20世紀最悪のパンデミックとされているのが、世界中で2000万人~4500万人、日本国内でも約45万人が死亡した「スペイン風邪」である。スペイン風邪の発生は、今から約100年前。1918年春、アメリカ・カンザス州にあるファンストン陸軍基地の兵営からだとされる。
当時は、第一次世界大戦中、アメリカは欧州に大規模な派遣軍を送ることになり、アメリカで発生したスペイン風邪は、アメリカ軍の欧州派遣によって世界中にばら撒かれることになった。電子顕微鏡がない時代であり、「スペイン風邪」の原因がウイルスであることを知る由もなく、原因のわからない疫病に対する人類の恐怖は、今とは比較にならないほど大きかったに違いない。
話は変わるが、目に見えないものを否定する社会的風潮は今もある。私は仕事柄数々の発明にであう。そしてその中には、再現性のある効果を持ちながら、現代の学問でうまく説明しきれないものも多く、これらがすべて切り捨てられるのが今の特許の考え方であり、また社会的な評価である。
電子顕微鏡によってそれまで見えなかったウイルスが見えるようになり、爾来「ウイルス」の存在をだれも否定しないようになった。それと同じように、科学の進歩により、今「なぜかは良くよくわからない」ことが、合理的に説明するときがくることを願ってやまない。
さて、戻って、スペイン風邪で注目すべきは、日本に於ける流行は「前流行」と「後流行」の2波、分類の仕方では3波あったということである。
「前流行」は1918年の感染拡大。「後流行」は1919年の感染拡大である。どちらも同じH1N1型のウイルスが原因であったが、「後流行」の方が致死率は高かったというのである。
1918年から1920年までの約2年間、猛威を振るい世界中を恐怖のどん底に陥れた「スペイン風邪」もやがて終息に向かうこととなる。
それは、スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎え、スペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからだといわれている。
この免疫力こそが、人類を存続させるために、神様があたえてくれた偉大なちからであろう。
スペイン風邪は突然の嵐のように世界と日本を襲い、そして人が持っている免疫力によって自然に去っていったというのが実際のようである。
これは、今現在猛威を振るっている、新型コロナウイルスの様と全く同じように感じる。
100年前と比べ、医療技術は各段に進歩し、医療技術をサポートする電子顕微鏡などの機器類の進歩もめまぐるしいものがある。
新型コロナウイルスは電子顕微鏡の写真で、一般人も見ることができる時代である。しかしながら、人類の持つ力の限界というか、自然の偉大さというか、スペイン風邪から100年たった今も、基本はなにも変わらない。
いつ、どのような状態で新型コロナウイルスが終息するか様々な意見があるが、いずれ終息するのは間違いないであろう。我々は今できることを着実に行うだけである。
さて、今回のコロナウイルスは人の考え方や価値観に大きな影響を与え、多くの人の行動に変容をもたらすといわれている。
ポストコロナはどのような世界がもっているのであろうか。
それは次回。
弁理士よもやま話 Bis・Navi(ビス・ナビ) Vol.107(2020年5月号)
プロフィール
加藤 久(かとう ひさし) 【弁理士】
加藤合同国際特許事務所 会長
1959年12月生まれ、福岡市出身、中央大学法学部卒。98年12月藤本公認会計士事務所を設立、所長1954年福岡県生まれ。佐賀大学理工学部卒業後、福岡市役所に勤務。87年弁理士試験合格、94年加藤特許事務所(現:加藤合同国際特許事務所)設立。2014年「知財功労賞 特許庁長官表彰」受賞、20年会長就任。
得意な技術分野:電気、機械、情報通信、ソフトウェア、農業資材、土木建設、無機材料、日用品など。
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